
ヘルムート・コール(Helmut Kohl)
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この人は?
ヘルムート・ヨーゼフ・ミヒャエル・コール(Helmut Josef Michael Kohl、1930年4月3日 - 2017年6月16日)は、ドイツ(旧西ドイツ)の政治家。1982年から1998年までの16年にわたって首相を務めた彼は、冷戦終結の波に乗り、1990年に東西に分裂していたドイツの再統一を成し遂げ、時の人となった。 来歴 CDU党首への道 1930年4月3日、ドイツのバイエルン州、プファルツ地方のルートヴィヒスハーフェン・アム・ライン(現在はラインラント=プファルツ州)に、バイエルンの財務官吏の3番目の子としてカトリック教徒の家庭に生まれた。兄の一人であるヴァルターは1944年11月にドイツ国内で空襲を受けて戦死するが、コール自身は戦争末期にヒトラーユーゲントで軍事教練を受け、ドイツ空軍の対空砲補助員として徴集されたものの、生年のわずかな差が影響して戦闘には参加しなかった。早くもギムナジウム在校中の1946年にキリスト教民主同盟(CDU)に入党した。その後1950年から、フランクフルト大学およびハイデルベルク大学で法学・歴史学・政治学を学び、1956年から同大学で助手を務めて1958年に「プファルツにおける政治変遷と政党の再建」という論文で博士号を取得する。翌年鉄工所の経営や産業団体の顧問を務め、1948年からの知り合いだったハンネローレ・レンナーと結婚する。2人は2男をもうけた。 コールはCDUの青年団組織 Junge Union (JU)の地元での設立にかかわり(1947年)、在学中の1953年に党の州支部事務局に加入した。1954年には州のJU副代表、翌年州の党執行部委員に就任した。1959年には地元ルートヴィヒスハーフェン郡の党代表となり、翌年ルートヴィヒスハーフェン市議会の党議員団長。1963年からラインラント=プファルツ州議会の党幹事長。1966年、党の州支部代表に就任し、同時に党の連邦代表委員の一人となる。1969年5月19日にラインラント・プファルツ州首相に就任し、CDU副党首となる。州首相として郡の再編成とトリーア大学・カイザースラウテルン技術大学の創建にかかわった。彼の地元での有力支持勢力は産業界であった。