
ハロルド・マクミラン(Harold Macmillan)
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初代ストックトン伯爵モーリス・ハロルド・マクミラン(英語: Maurice Harold Macmillan, 1st Earl of Stockton、1894年2月10日 - 1986年12月29日)は、イギリスの政治家、貴族。同国第65代首相(在任:1957年1月22日 - 1963年10月17日)。国防大臣、外務大臣、財務大臣などを歴任した。1984年2月に連合王国貴族ストックトン伯爵に叙せられる。 経歴 首相就任まで モーリス・クロフォード・マクミラン(Maurice Crawford Macmillan)の三男として、1894年2月10日にロンドンのチェルシーに誕生する。マクミラン家はマクミラン出版社(1843年創業)を代々経営する一家であった。イートン・カレッジ、オックスフォード大学ベリオール・カレッジを卒業し、第一次世界大戦ではイギリス陸軍に志願して、1914年11月19日に臨時の歩兵少尉としてキングス・ロイヤル・ライフル・コープスに入隊した。1915年1月30日に中尉に昇進した後、同年にグレナディアガーズに転じた。1916年7月のソンムの戦いでは至近距離から銃弾を受けて重傷を負い、この傷は生涯彼の体に残った。そのため、彼には少し体を斜めにして歩く癖があり、時々痛みに苦しむこともあった。1920年4月1日に中尉の階級を保有したまま軍務から引退した。ただし、『ロンドン・ガゼット』はそれ以降のマクミランを「モーリス・ハロルド・マクミラン大尉」と表記している。 1924年10月に庶民院議員として政界入りした。第2次チャーチル内閣で初めて住宅・地方自治大臣として閣僚入りし名声を博す。1954年10月に国防担当閣外大臣に就任し、アンソニー・イーデン内閣では外務大臣に任命されるものの数ヶ月でポストを外され、財務大臣に異動させられてしまう。これにより次期首相の芽は無くなったとまで言われたが、このおかげで外務大臣としてスエズ危機の責任を負うことを免れている。 首相就任 1957年1月にイーデン首相がスエズ動乱でイギリス軍の出兵が国際的に非難を浴びて引責辞任する。後継者問題ではマクミランとラブ・バトラー外務大臣の2人が有力だった。しかしバトラーは長老議員の評判が悪かったこと、またイーデン同様スエズ危機の責任もマイナスとなったため、ソールズベリー卿らの女王への推薦により首相に就任した。