
ガイ・フォークス(Guy Fawkes)
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ガイ・フォークス(Guy Fawkes、、1570年4月13日 - 1606年1月31日)は、イングランド史において、プロテスタントのイングランド国王ジェームズ1世を暗殺し、カトリックの君主に挿げ替えようとした1605年の過激派カトリック教徒らによる火薬陰謀事件の主要メンバーの一人。同事件の首謀者ではないが、現代では「ガイ・フォークス」の名が火薬陰謀事件の代名詞となっており、例えば同事件の解決に由来する11月5日の記念日はガイ・フォークス・ナイトと呼ばれる。また、男を意味する「ガイ(guy)」という単語も彼に由来する。一時期はスペインの軍人としても活動し、その頃に用いていたグイド・フォークス(Guido Fawkes)の名でも知られる。 イングランドのヨークにてイングランド国教会の定例ミサに参加する敬虔なプロテスタントの家に生まれる。8歳の時に父が亡くなり、その後、母が再婚すると義父の家系の影響でカトリック教徒となり、カトリックの影響が大きい学校で少年期を過ごす。成人後はイングランド軍の兵士としてオランダ独立戦争(八十年戦争)に参加するが、指揮官のウィリアム・スタンリーがカトリック強国で当時の大国であるスペインに部隊ごと寝返ったことで、そのまま自身もスペイン軍の兵士となる。以降はスペインのためにオランダ人政府や、フランス軍(八年戦争)と戦った。その活躍で1603年には大尉に推薦された。一方で、イングランドとスペインに和平の兆しが見えると、スペインによるカトリック解放を期待していた者たちがスペイン政府にイングランドへの侵攻を嘆願する使節団を派遣し(スペイン反逆事件)、フォークスはこの使節団にも関与していた。 1603年にイングランド王としてジェームズ1世が即位すると、多くのカトリック教徒たちはカトリックへの寛容政策を期待していたが、次第に失望に変わった。その一人である過激派のロバート・ケイツビーは貴族院(ウェストミンスター宮殿)で行われる議会開会式にて、議場を大量の火薬をもって爆破し、ジェームズ及び政府要人らをまとめて暗殺した上で、同時にミッドランズ地方で民衆叛乱を起こし、カトリックの傀儡君主を立てることを計画した。 1604年初頭にフォークスは主要メンバーのトマス・ウィンターに誘われて、これに参加することを決め、イングランドに帰国した。1604年5月の最初の打ち合わせに参加するなど、初期から関わっていた5人の主要メンバーの一人となった。軍人としての経歴と人柄から仲間たちの信頼を得て、計画の要である火薬の管理を任された。そして、主要メンバーであるトマス・パーシーの使用人「ジョン・ジョンソン」(John Johnson)としてウェストミンスター宮殿など政府中枢の建物に潜り込んだ。