
Gustavo Petro
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グスタボ・フランシスコ・ペトロ・ウレゴ(Gustavo Francisco Petro Urrego、スペイン語発音: [ɡusˈtaβo fɾanˈsisko ˈpetɾo uˈreɣo]、1960年4月19日 - )は、南米コロンビアの政治家、左翼ゲリラ「4月19日運動(M-19)」元メンバー。現在、同国大統領(第35代)。M-19が1990年に武装解除してから大統領に当選するまでの間は、共和国議会上下両院の議員や首都ボゴタの市長を務めた。 来歴 「4月19日運動」参加まで コロンビア北部のコルドバ県に教育者である父グスタボ・ペトロ・シエラと母クララ・ヌビア・ウレーゴとの間に生まれる。父方の曾祖父フランシスコ・ペトロは、1870年に南イタリアからコロンビア北部に移住した。生後すぐにシエナガ・デ・オロ(スペイン語版)からボゴタに引っ越し、10歳まで同地で暮らした。その後家族はシパキラに転居し、高校生の時に「カルタ・アル・プエブロ」という校内新聞を創刊し、ガルシア・マルケスの名にちなんだカルチャーセンターを創設した。キューバ革命の立役者の一人であるチェ・ゲバラが1967年にボリビアでのゲリラ闘争中に殺害された事件を報じる新聞記事を読んで泣いている父親を見たのが、政治を意識した初の体験だった。既得権益層が支配するコロンビアの現状を憂い、中学時代にはマルクス主義の本を読み、友人たちと革命の必要性を語り合っていた。 経済学を学ぶ大学生だった18歳の時、4月19日運動(M-19)のメンバーとなった。当時のコロンビアは不正選挙(スペイン語版)が明らかになり非常事態が敷かれるなど自由や人権が抑圧されており、それに対して立ち上がった若者の一人だったと回想している。M-19におけるペトロの通称は「アウレリャノ」で、これはガルシア・マルケスの小説『百年の孤独』に登場するアウレリャノ・ブエンディア大佐にちなんだものである。 1984年、M-19は休戦状態となり和平交渉(スペイン語版)を行っていたが、ペトロはシパキア市議会議員でありながら中央広場でのデモでM-19の構成員であることを公にした。M-19で、ペトロはパラミリターレス(スペイン語版)によって強制的に移動させられた 400 世帯の貧困層の家族を収容する土地の押収を主導し、後にボリバル83地区(スペイン語版)となる地域の建設に貢献した。その後ペトロは完全に身を隠し、M-19の主要指揮官の一人であるカルロス・ピサロと親しくなり、コロンビアにおける武力紛争の交渉による政治的解決と憲法制定議会への移行の必要性をピサロに主張した。