
グリゴリー・ラスプーチン(Grigori Rasputin)
このスターに新着があれば通知でお届け
日別に見る
この人は?
グリゴリー・エフィモヴィチ・ラスプーチン・ノーヴィ(ロシア語: Григо́рий Ефи́мович Распу́тин Новый, ラテン文字転写: Grigoriy Yefimovich Rasputin Novyy, ロシア語発音: [ɡrʲɪˈɡorʲɪj jɪˈfʲiməvʲɪtɕ rɐˈsputʲɪn ˈnovɨj], 生年不明(1865年ごろ〈→生年〉) - 西暦1916年12月30日〈ユリウス暦1916年12月17日〉)は、帝政ロシア末期の農民(→職業/肩書)。シベリア・トボリスク県ポクロフスコエ村出身。 奇怪な逸話に彩られた生涯、怪異な容貌から、怪僧・怪物などと形容される。ロシア帝国崩壊の一因をつくり、歴史的な人物評は極めて低い反面、その特異なキャラクターから映画や小説など大衆向けフィクションの悪役として非常に人気が高く、彼を題材にした多くの通俗小説や映画が製作されている。 生年 ラスプーチンの出生に係る確たる史料が現存しないため、その生年は不明である。 一般に、1864年または1865年の出生と推定されている。一方で、1897年に行われた「人口調査」での「ラスプーチンは28歳」というデータ(「人口調査」の詳細、ならびに「ラスプーチンは28歳」の典拠については、出典文献〈〉に記載なし)から、1869年の出生と逆算する例もある。 職業/肩書 ラスプーチンは「僧侶/祈祷僧」ないしは「聖職者」としての職業的な身分を有さなかった。 ロシア正教会の敬虔な信者として、故郷の村に教会を建立するために奔走したことを契機に、宗教的な名声を得るに至ったが、本人の自称ならびに自認は、生涯を通じて「一介の農民」であった。 ラスプーチンは、宗教的な名声を獲得した後も、法話や祈祷などの宗教活動への報酬を一切求めなかった。例外として、サンクトペテルブルクで居住するマンション(日本風の呼称)を、皇帝ニコライ2世から無償提供されていた。 生涯 生い立ち 1869年1月9日、シベリアの寒村ポクロフスコエ村の農夫エフィム・ヤコブレヴィチ・ラスプーチンとその妻アンナ・パルシュコヴァの第5子として生まれる。翌10日に洗礼を受け、ニュッサのグレゴリオスから名前を授けられ、「グリゴリー」と名付けられた。 ラスプーチンは学校に通わなかったため読み書きが出来なかった(1897年のロシア政府の国勢調査によると、村人の大半が同様に読み書きが出来なかった)。 素行不良で粗暴な若者へ育ったグレゴリー青年はロシア正教会古儀式派のスコプツィ派の教義に傾倒、指導者としての頭角を表す。幼少期のラスプーチンについて、娘のマリア・ラスプーチナが記録を残しているが、彼女の記録は信頼性が低いと見なされている。