
ジョズエ・カルドゥッチ(Giosuè Carducci)
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ジョズエ・アレッサンドロ・ジュゼッペ・カルドゥッチ(Giosuè Alessandro Giuseppe Carducci, 1835年7月27日、ヴァルディカステッロ - 1907年2月17日、ボローニャ)は、イタリアの詩人、教師。古典文学者。イタリア上院議員。その影響力は大きく、現代イタリアの国民的詩人として公的にも認められていた。父はリソルジメントの支持者で、政府の弾圧により幼少時代はトスカーナ地方を転々とする。学識を請われボローニャ大学教授となる。『新韻集』や『擬古詩集』が高い評価を受け、1906年にノーベル文学賞を受賞、同賞を受賞した最初のイタリア人となった。 国家統一を妨げているとしてローマ・カトリックを厳しく批判し、『青春の季』や『魔王賛歌』で反カトリックの姿勢を取っている。教育家としても教会の管理下にある事が一般的だった寄宿学校の現状を変えるべく、弟ヴァルフレード・カルドゥッチを校長とする無宗教式のカルドゥッチ寄宿学校を設置した。同校ではベニート・ムッソリーニがサレジオ会の寄宿学校を追放された後に学んでいる。 経歴 カルドゥッチは、トスカーナ大公国の現ルッカ県北西端にある小さな街・ピエトラサンタの一部であるヴァルディカステッロの集落に生まれた。父親は医者で、統一イタリアの支持者であり、カルボナリの関係者であった。父親の政治的志向性のために、一家は、カルドゥッチが子供の頃に何度か引っ越さねばならない羽目に陥っている。その当時、数年をフィレンツェで過ごしたこともあった。 カルドゥッチは大学在学中から、古代ギリシアや古代ローマの抑制されたスタイルに魅了され、彼の成熟した作品は抑制のきいた古典的な様式を帯びるようになった。ホラティウスやウェルギリウスといったラテン語の詩人たちのように、たびたび古典的な韻律を使うものである。また、ホメーロスの『イーリアス』第9巻をイタリア語に翻訳した。 カルドゥッチは1856年にピサ大学のスクオラ・ノーマル・スペリオレを卒業し、教授法を教える学校を始める。その翌年、最初の詩集である『リム』(Rime、詩もしくは韻)を出版する。この頃は彼にとっては辛い時期であった。というのも、父親が亡くなり、兄弟が自殺を図ったのである。 1859年、カルドゥッチはエルヴィラ・メニクッチと結婚する。2人の間に子供は4人生まれた。彼はごく短い期間、ピストイアの高校でギリシア語を教えている。その後、ボローニャ大学にイタリア語の教授として迎えられる。ここで、教え子の一人ジオヴァンニ・パスコーリに出会う。パスコーリもまた詩人となり、ボローニャ大学でカルドゥッチの後を継ぐ。