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ガーリブ

ガーリブ(Ghalib)

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ガーリブ(1797年12月27日 – 1869年2月15日)は、ムガル帝国末期に活躍した詩人。ウルドゥー語とペルシア語を用いて、優れた詩歌、書簡、散文を残した。ウルドゥー語詩人の巨匠として知られ、ミールやゾウクと並び称されている。「ガーリブ」(ウルドゥー語: غالب, ラテン文字転写: ġhālib )は優れているさまを意味する筆名であり、またライオンを意味する「アサド」(ウルドゥー語: اسد, ラテン文字転写: ʿasad)も用いた。晩年には別の名義で政治評論も行っている。ガーリブはムガル朝が没落し、イギリスの統治が支配的になった時代に生き、1857年の「大反乱」に巻き込まれた。彼はインド大反乱の当時の状況を著作に記している。 出自 「ガーリブ」の本名はミールザー・アサドゥッラー・ベーグ・ハーンで「ミールザー・ガーリブ」とも呼ばれている。彼は1797年12月27日にアーグラで生まれた。彼の家系は中央アジア出身で、父方の祖父、ミールザー・クーカン・ベグ・ハーン(Mirza Quqan Beg Khan)はサマルカンド出身である。祖父のミールザー・クーカン・ベグ・ハーンは若い頃に傭兵で身を立てようとヒンドゥスターン平原に移住し、パンジャーブの領主やムガル朝のシャー・アーラム2世、ジャイプルの領主に仕えていた。そのためガーリブは「トゥーラーン」の裔であると自認していた。 ガーリブの父親はアブドゥッラー・ベグ・ハーンで、イッザトゥルニサー・ベーガム(ʿIzzat al-Nisaʿ Bēgam)と結婚し、ガーリブを含め3人の子どもをもうけるが、ガーリブ4歳のときに戦死した。そのためアブドゥッラーの弟のナースルッラー・ベグがガーリブを含む家族を引き取って養った。 ナースルッラー・ベグは第二次マラーター戦争時、マラーター同盟側のアーグラ城の司令官を任されていたが、イギリスの呼びかけに応じ、1803年にイギリス東インド会社軍に城を明け渡した。しかし3年後の1806年に戦象から落ちて亡くなった。 生い立ち ガーリブは、アーグラの母方の祖父母の家で育った。2人の父親を亡くしたものの、富裕な母方の祖父母の家での暮らしは優雅で快適であり、後年の子どもの頃を回想した書簡によると、毎日親友とチェスをしたり、屋根の上で凧揚げを楽しんだりしたという。もっとも、Verma(1989)によると、この回想は頌詩文学的誇張が含まれている可能性があり、この頃の幼いガーリブには父と叔父を亡くしたストレスが襲い、剥奪感が常にまとわりつくようなっていたと述べる。

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