
ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(Getúlio Vargas)
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ジェトゥリオ・ドルネレス・ヴァルガス(ポルトガル語: Getúlio Dornelles Vargas、1882年4月19日 - 1954年8月24日)は、ブラジルの政治家。1930年から1945年までの間と、1951年から1954年までの間にブラジル大統領を務めた。愛称はGegê(ジェジェ)。 経歴 1882年にブラジル南部リオグランデ・ド・スル州のアルゼンチンとの国境地帯に位置するサン・ボルジャ(São Borja)で生まれた。父親は軍人、政治家であるマヌエル・ヴァルガス。 リオ・パルドの士官学校に進むが卒業間際に退学し、ポルトアレグレ法科大学(現在のリオグランデ・ド・スル連邦大学法学部)に転じる。大学卒業後、一時ポルトアレグレで検察官として働くもののすぐに故郷に戻り、学生時代から党員として支持活動をしていたリオグランデンセ共和党を通じて政界入りする。1911年3月にダルシー・リマ・サラマーニョと結婚した。政治家として州議会議員、連邦議会議員を経て、1926年から1927年には大蔵大臣、1928年から1930年まではリオグランデ・ド・スル州知事も務めた。 1930年の大統領選挙で前サンパウロ州知事であるジュリオ・プレステスに敗れるが、当時の政治腐敗などの不満を背景に、軍事クーデターを成功させて政権を掌握した。これによってブラジルはサンパウロ州とミナスジェライス州の2州の有力者による寡頭支配体制であるカフェ・コン・レイテ時代が終焉を迎えた。 ヴァルガスは当初、自身が影響を受けていたテネンチズモの指導者であるルイス・カルロス・プレステスに軍部のトップを打診するもプレステスはブラジルの共産党を率いることを選んで拒否し、軍上層部が懸念していた共産主義者のゲリラと対決する道を歩むこととなった。統一国家の建設を目標にサンパウロの反乱を鎮圧し、1934年に議会から認められて正式に大統領の座についた。中央集権的でファッショ色の強い新憲法を制定し、イデオロギーの国家統一を口実に共産党の反乱を鎮圧に乗り出し、1935年にはルイス・カルロス・プレステスが煽動した軍隊内の共産党の反乱は完全に鎮圧されることとなった。 1937年、大統領選挙を目前とする中で、再び軍事行動によって選挙を中止させると、議会も解散させて独裁政治を行った(この時期をエスタード・ノーヴォ体制(新国家体制)とも称する)。新国家の樹立にも力を尽くした極右政党のブラジル統合主義運動も解散させた。労働者の保護と規制による体制化、資源の国有化、有色移民の制限を規定した憲法によって、イタリアやドイツの全体主義に似た理念で自主外交の確立と統一国家の形成を目指した。