
ゲオルギー・マレンコフ(Georgy Malenkov)
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ゲオルギー・マクシミリアーノヴィチ・マレンコフ(ロシア語: Гео́ргий Максимилиа́нович Маленко́в、ラテン文字表記:Georgy Maximilianovich Malenkov、1902年1月13日(ユリウス暦では1月8日) - 1988年1月14日)は、ソビエト連邦の政治家。ソ連閣僚会議議長(首相、1953年 - 1955年)を務めた。社会主義労働英雄の称号を持つ。 ヨシフ・スターリンの重要な側近であり、スターリン死後は閣僚会議議長(首相)として、ニキータ・フルシチョフらと共にソ連の政治に影響力を発揮した。閣僚会議副議長(副首相)、発電所大臣などを歴任し、党内では書記、政治局員、政治局員候補を務めた。 概要 赤軍政治委員、共産党中央組織要職を務め、1939年に党中央委員・書記・人事局長となり、第二次世界大戦中は国家防衛委員会委員を兼任する。 1944年5月に閣僚会議副議長(副首相)、1946年3月に政治局員となり、スターリンの後継者と目された。 1953年3月のスターリンの死去によって後任の閣僚会議議長(首相)となり、フルシチョフ、ヴォロシーロフと共にトロイカ体制を形成した。国際協調・党内集団指導制・消費物資増産など新政策を推進したが、1955年2月に辞職し、1957年6月に反党グループと目されて失脚した。 生い立ちから権力の掌握まで 生い立ち 1902年1月13日、ロシア帝国のオレンブルクで、マケドニア人移民のもとに生まれる。マレンコフの父はオレンブルクの裕福な農家であり、若かりし頃のマレンコフは時々父の農作物販売の仕事を手伝った。母は鍛冶屋の娘であり、正教会の司祭の孫娘だった。 1919年にオレンブルクのギムナジウムを卒業し、赤軍に志願兵として加わり、ロシア内戦では東戦線とトルキスタン戦線において、政治将校として白軍と対峙した。1920年4月に共産党に入党し、その後は軍を本拠とするモスクワ高等専門学校の共産党書記を務め、トロツキストに対する粛清を指揮した。彼の学校内での党活動における同志には、後に共産党最高指導部を構成するマクシム・サブーロフ、ミハイル・ペルヴーヒン、ヴャチェスラフ・マリシェフらがいた。特にマレンコフと親しかったのはマリシェフで、マレンコフが中央委員会事務局への異動に伴い、彼の後任として書記の職に就いた。