
フョードル・ドストエフスキー(Fyodor Dostoevsky)
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フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(ロシア語: Фёдор Миха́йлович Достое́вский [ˈfʲɵdər mʲɪˈxajləvʲɪtɕ dəstɐˈjɛfskʲɪj] ( 音声ファイル)、1821年11月11日〔ユリウス暦10月30日〕 - 1881年2月9日〔ユリウス暦1月28日〕)は、ロシア帝国の小説家・思想家。レフ・トルストイ、イワン・ツルゲーネフと並び、19世紀後半のロシア小説を代表する文豪である。 28歳で空想的社会主義に関係して逮捕されるが、出獄後、社会主義に批判的になり、キリスト教的人道主義へと思想を変化させ、代表作である『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』などを発表し、「現代の預言書」とまで呼ばれる文学を創造した。ドストエフスキーの著作は、世界中で読まれ、170以上の言語に翻訳されている。ソルジェニーツィンやチェーホフ、ニーチェ、サルトル、ウィトゲンシュタイン、アインシュタイン、日本人では、黒澤明、湯川秀樹、小林秀雄、大江健三郎、村上春樹、三島由紀夫、埴谷雄高などの多くの人物に影響を与えた。 生涯 幼少期 フョードル・ドストエフスキーは、モスクワのマリインスキー貧民救済病院の官舎で、ミハイル・アンドレ―ヴィチ・ドストエフスキーの次男として生まれた。ミハイルは、マリインスキー貧民救済病院の医師であり、後に院長を務めた。母は、モスクワの裕福な商人の娘であった。敷地内にある実家で育つ。兄1人、妹2人、弟2人あり。1827年に、父が八等官に昇進して領地を持つことが許された。 四年後の1831年に、モスクワから150キロメートルほど南に離れたトゥーラ州にあるダロヴォーエを買う。その翌年には、隣村のチェリョーモシナを買い、「地主貴族」になった。しかし、土地を買ってすぐに大火事が起こり、二つの土地の屋敷は灰と化した。同年の夏には領地の屋敷は罹災から復興した。ドストエフスキーは、母が読み書きに使っていた『旧約聖書』や『新約聖書』、またシラーの『群盗』などに強い感銘を受けた。 青年期と両親の死 1833年、兄・ミハイルと一緒にドラシューソフの塾に通い、1834年に文学教育に力を入れているチェルマーク寄宿学校に入学。ドストエフスキーは貴族的な同級生の中で場に合わないと感じ、その経験は後に幾つかの彼の作品に影響を与えている。1837年に母が死去した。この年咽喉の病により発音が不自由となる。また、学校生活を放棄して軍務に専念することになり、1838年、16歳の時に帝都のサンクトペテルブルク陸軍中央工兵学校に入学。ドストエフスキーは、科学・数学・軍事工学への関心が乏しいことと、絵画や建築を好むことが主な原因で、中央工兵学校を嫌っていた。