
岸田文雄(Fumio Kishida)
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この人は?
岸田 文雄(きしだ ふみお、1957年〈昭和32年〉7月29日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(12期)、自由民主党日本成長戦略本部長、資産運用立国議員連盟会長、映像産業戦略推進研究会会長。 内閣総理大臣(第100代・第101代)、外務大臣(第143・144・150代)、防衛大臣(第16代)、内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策、規制改革、国民生活、科学技術政策)(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)、消費者行政推進担当大臣(福田康夫内閣)、宇宙開発担当大臣(福田康夫内閣)、内閣府特命担当大臣(再チャレンジ)(第1次安倍改造内閣)、文部科学副大臣(第1次小泉内閣)、建設政務次官(小渕第2次改造内閣・第1次森内閣)、衆議院厚生労働委員長、自由民主党政務調査会長(第58代)、同国会対策委員長(第52代)、同経理局長、同広島県支部連合会会長、宏池会会長(第9代) 、自由民主党総裁(第27代)などを歴任した。YouTubeなどのSNS活動については#SNS活動を参照。 来歴 生い立ち 広島県出身の通商産業省(現:経済産業省)の官僚であった父・岸田文武の長男として東京都渋谷区で生まれる。親の教育方針もあり、文雄は東京で育てられた。岸田家は広島の一族であるため、一家は毎年夏に広島に文雄を連れて帰省し、文雄は広島原爆の被爆者たちから当時の話を聞いた。岸田一族も多くが被爆し、亡くなった者たちもいた。 1963年、父の仕事の関係でアメリカ合衆国ニューヨーク市に居住し、小学校1年生から3年生まで3年間、現地のパブリックスクール(公立小学校)に通う。 1963年秋から「PS 20」に通ったのち、1964年春からクイーンズ区の近隣住区エルムハーストに位置する「PS 13 Clement C Moore School」に通った。 1966年6月にパブリックスクール3年次を修了して日本に帰国。7月に永田町小学校(現:麹町小学校)の3年次に転入。麹町中学校を経て、1973年に開成高等学校に入学。野球部に入部し主に内野手・二塁手を務める。1年次に高橋慶彦(元広島カープなど)が所属する城西高等学校と対戦するがコールド負けを喫する。後に二人は「PRIDE JAPAN★47★BASEBALL CUP2024」で岸田が大会名誉会長、高橋が大会アンバサダーを務める事になる。高校生活では野球の他にロック/フォークの流行に影響を受けギターに打ち込む。 大学から銀行員時代 1976年に高校を卒業し、東京大学合格を目指し2年間の浪人を経験する。この時について、岸田は、著書「岸田ビジョン 分断から協調へ」(講談社)の中で、「(自分は)東大とは縁がなかった」、「3年連続で東大に不合格だった」ことを明かしている。