
Frida Kahlo
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マグダレーナ・カルメン・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン(Magdalena Carmen Frida Kahlo y Calderón、1907年7月6日 - 1954年7月13日)は、メキシコの画家。インディヘニスモの代表的美術作家。 メキシコの現代絵画を代表する画家であり、民族芸術の第一人者としても数えられる。 経歴 幼年期 フリーダは1907年7月6日、メキシコシティの近郊にあるコヨアカンで父ギリェルモ・カーロと母マティルデ・カルデロン=イ=ゴンサレスの三女として生まれた。 1904年に両親が建てたフリーダの生家である「青い家」は現在はフリーダ・カーロ記念館として公開されている。 父親のギリェルモは1871年にドイツ南部のバーデン=バーデンに誕生した、ハンガリー系ユダヤ人であった。母マティルデはメキシコ系の出自であり、フリーダは自身のルーツを堂々と表明していた。後年、父の出身地ドイツでナチスが台頭、1935年には、ユダヤ人を排除し、アーリア系ドイツ人の純潔を守らせるとしたニュルンベルク法が成立。その喧伝にナチスは系図表を使ったが、彼女はこれを逆手に取り、翌1936年、<私の祖父母、両親そして私(家系図)>を制作した。職業写真家のギリェルモは自身の母の死去を契機に1891年にメキシコへ渡航した。1921年のメキシコ独立百年祭の記念に出版された写真目録の製作に携わり、メキシコで最初の公式写真家としてその地位を確立している。 しかし、1910年のメキシコ革命の勃発により安定した生活は終わりを告げた。フリーダはこの頃の状況について、「私の家ではとても困難なもとで暮らしを立てた」と回顧している。 出産の影響で母親が衰弱していたため、幼年期は乳母によって育てられ、母親の愛情とは疎遠であったことが日記や対談などから窺える。 6歳になった頃に急性灰白髄炎にかかり、およそ9か月にわたって寝たきりの生活を送った。この影響で右腿から踝にかけて成長が止まって痩せ細り、これを隠すためにズボンやメキシコ民族衣装のロングスカートなどを好んで着用していた。父親は足がもとに戻るようにあらゆるスポーツをフリーダに習わせたが、足が元に戻ることはなかった。