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フレッド・アステア

フレッド・アステア(Fred Astaire)

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フレッド・アステア(Fred Astaire、1899年5月10日 - 1987年6月22日)は、アメリカ合衆国ネブラスカ州オマハ生まれの俳優、ダンサー、歌手。舞台から映画界へ転じ、1930年代から1950年代にかけてハリウッドのミュージカル映画全盛期を担った。 プロフィール 生い立ち 本名フレデリック・オースターリッツ(Frederick Austerlitz)としてオマハに生まれた。母ジョハナ・"アン"(旧姓ガイラス)はルター派のプロテスタントで、東プロイセンとアルザスからのドイツ系移民2世(ドイツ系アメリカ人)。セールスマンであった父フレデリック・"フリッツ"(旧姓名はフリードリヒ・エマヌエル・アウスターリッツ Friedrich Emanuel Austerlitz)は、カトリックに改宗したドイツ系ユダヤ人を両親としてオーストリアのリンツに生まれた移民1世である。つまり、フレッドはドイツ系とユダヤ系の混血である。 4歳からダンス・スクールに学んだアステアは、2歳上の姉のアデールとコンビで全米のヴォードヴィル劇場を巡演し、人気を得る。一時期を除き、アデールとのコンビはのちのミュージカル映画全盛期のリハーサルダンサーまで続いた。 ダンサー 17歳でブロードウェイにダンサーとして進出を果たし、20歳で名声を確立。1921年には、22歳で姉・アデールと舞台『バンド・ワゴン』を大成功させた。しかし、1931年にアデールは結婚を機に芸能界から引退しイギリスの貴族社会に入ったため、弟のアステアは新たな活路を模索することになる。 映画界へのメジャー・デビュー 映画俳優への転身を決意し、ハリウッドでカメラ・テストを受けたが、当初の評価はハンサムとは言えない顔やルックスの悪さのせいで散々であった。それでもステージで培われた実力でスクリーンへの道を拓き、1933年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー映画『ダンシング・レディ』へのゲスト出演でスクリーンデビューする。 続いて当時の大手映画会社の1つであったが経営難にあったRKOと契約しジンジャー・ロジャースとコンビを結成、1933年以降、主演映画作品において華麗なダンスを披露した。アステアとロジャースは1939年までRKOで数々のドル箱ヒット作を生み出し、RKOは33年に公開された『キング・コング』と二人のダンス・コメディ映画シリーズによって経営を立て直した。 トップハットに燕尾服、ホワイトタイというエレガントなスタイルで、当時最高の作詞家・作曲家たちの手になるナンバーを歌い踊るアステアは、不況下のアメリカの大衆を熱狂させた。アステアとロジャースは、映画史上最高のダンシング・ペアとされ、二人の一連の主演作は「アステア=ロジャース映画」と呼ばれることもあった。

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