
フラニョ・トゥジマン(Franjo Tuđman)
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フラニョ・トゥジマン(Franjo Tuđman, 1922年5月14日 - 1999年12月10日)はクロアチアの政治家。初代クロアチア共和国大統領。姓はツジマンと表記されることもある。 経歴 クロアチア北部ザゴリェの村ヴェリコ・トルゴヴィシュチェ出身。第二次世界大戦中の1941年に共産党に入党、パルチザンに参加。戦後、ユーゴ人民軍最年少で将軍となる。1958年からJSDパルチザン(サッカー部門にFKパルチザン、バスケットボール部門にKKパルチザンを持つセルビアの総合スポーツクラブ)の会長を務め、1961年、上級大将の階級でユーゴスラビア連邦軍から退役後、ザグレブ労働者運動大学学長に就任。1965年、ザグレブ大学で歴史学博士号を取得したが、クロアチア民族主義運動へ参加した容疑で1972年と1981年の2度逮捕され、軍の階級と勲章を剥奪された。 1980年のヨシップ・ブロズ・チトー死後、ユーゴスラビア連邦の中核であるセルビア国内では「多民族国家を構成するユーゴスラビア連邦にあって、セルビアこそが連邦を主導しクロアチア・スロベニア・マケドニアを統治すべき」と言う、セルビア至上主義を唱える排外的な民族主義運動が高まり始めた。このセルビア国内での民族主義運動の高まりにより、セルビア・ボスニア各地からセルビア官憲の圧力によって多くのクロアチア人が家や職場、学校を追放され、難民化し祖国クロアチアへ流入した。この数多くのクロアチア人難民の絶大な支持の下、トゥジマンは持ち前の行動力と政治力を武器に1989年、極右・排外主義的なクロアチア民主同盟 (HDZ) を創設、クロアチア独立運動の指導者として頭角を現す。更に続く1990年に実施された自由選挙では、独立を希求する多くの国民の支持の元、HDZは記録的な大勝利を収めた。この結果、トゥジマンはHDZが大多数を占める議会により初代クロアチア共和国大統領に選出される。 大統領に就任したトゥジマンは、事実上の独立宣言とも言える『クロアチア民族の自治権に基づく〝クロアチア人の為の純潔国家〟の樹立』を内外に宣言。この宣言に対し、「クロアチアは連邦内に留まるべき」と主張しクロアチア独立に反対するクロアチア共和国内のセルビア人組織は強く反発した。結果としてセルビア本国の民族主義者より支援を受けたクロアチア共和国内のセルビア人組織は、クロアチア共和国内に新たにクライナ・セルビア人自治区と東スラヴォニア・バラニャおよび西スレム・セルビア人自治州と言う二つの自治国家を樹立し、自治国家内に居住する多くのクロアチア人住民を国外へ追放(初期段階における民族浄化)、トゥジマン政権と対決した。