
ファウスティーノ・アスプリージャ(Faustino Asprilla)
エル・モンダコン
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ファウスティーノ・アスプリージャ(Faustino Hernán Asprilla Hinestroza, 1969年11月10日 - )は、コロンビア出身の元サッカー選手。元コロンビア代表。ポジションはフォワード。 クラブ経歴 トゥルアの貧しい家に生まれた。父親はサトウキビ農園で働いていて、6人の子供たちを養っていた。サルミエント・ローラでサッカーを学び、1988年にククタ・デポルティーボでプロデビュー、デビューイヤーは17試合で7得点を記録したが、審判に対しての暴力行為で出場停止になったこともあった。翌1989年にアトレティコ・ナシオナルへと移籍し、ここでプレーに磨きをかけた。 1992年のバルセロナオリンピック南出場権したが、オリンピックではグループリーグ最下位に終わった。大会後にイタリアのパルマACへ移籍。しかし加入当初、ネヴィオ・スカラ監督や周囲から活躍できるのか、懐疑的な目で見られていた。開幕のアタランタ戦で良いプレーを見せるなど、評価を上げた。翌1993年3月にACミラン戦では、その当時58試合無敗記録を打ち立てたミランに対しフリーキックから得点を決め1-0で下し記録を阻止する活躍を見せた。またUEFAカップウィナーズカップでは準決勝のアトレチコ・マドリードとの第1戦で2ゴールを決めた。怪我で準決勝第2戦と決勝を欠場したが、チームは優勝を果たした。 1993-94シーズンにSSCナポリから移籍したジャンフランコ・ゾラとのコンビプレーを組み、リーグ戦27試合で10得点を挙げた。1994-95シーズンにはUEFAカップ決勝でユヴェントスを破り初優勝を成し遂げ、リーグ戦でも優勝争いに貢献したが、このシーズン、プレーよりもスキャンダルが報じられる様になった。一定のゴールは決めたものの、スカラ監督とも徐々に不仲になるなど、以前程のプレーが出来なくなっていた。 1995-96シーズン、新外国人選手の獲得もあり、出場機会を大幅に減らし、シーズン折り返し時に、イングランド・プレミアリーグのニューカッスル・ユナイテッドへ放出された、リーグ戦では、際立った活躍はできなかったが、ヨーロッパのカップ戦では活躍、特に1997-98シーズンのチャンピオンズリーグではバルセロナ相手にハットトリックを決めた。 1997-98シーズン後半、3年契でにパルマへ復帰。しかし、殆ど出場機会が無く、ベンチ要員となった。1998-99シーズン、2度目のUEFAカップ優勝、コッパ・イタリア優勝も果たした。 11999年に、ブラジルのパルメイラス移籍、コパ・リベルタドーレスでは決勝に進んだが、ボカ・ジュニアーズとの決勝第2戦のPK戦でPKを外し、優勝を逃した。その後、南米の様々なクラブを渡り歩き、2005年に故郷トゥルアにあるコルトゥルアで35歳で現役を引退した。
経歴
- 1969Born
- 1988Joined Cúcuta Deportivo
- 1989Joined Atlético Nacional
- 1992Joined Parma Calcio 1913
- 1993Joined Colombia men's national football team
- 1996Joined Newcastle United F.C.
- 1998Joined Parma Calcio 1913
- 1999Joined Sociedade Esportiva Palmeiras
- 2000Joined Fluminense F.C.
- 2001Joined Atlante F.C.
- 2002Joined Atlético Nacional
- 2002Joined Atlético Nacional
- 2003Joined Club Universidad de Chile
- 2003Joined Estudiantes de La Plata
- 2004Joined Cortuluá
- 2004Joined Cúcuta Deportivo
豆知識
- •Place of birth: Tuluá
- •Citizenship: Colombia
- •Known as: association football player
- •Sport: association football