
ファーティマ(Fatima)
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ファーティマ(فاطمة الزهراء Fāṭima al-Zuhrā' 606年または614年 - 632年8月28日)は、イスラームの開祖ムハンマドの娘で、アリー(第4代正統カリフ)の妻。ムハンマドの血を引く娘であること、シーア派イマームの祖となったことなどから、シーア派において非常に尊敬されている。また、ムハンマドの寵愛を受けたことから、イスラーム圏における理想の女性の象徴とみなされている。イスラム教で最もポピュラーな女性の名前の1つである。 ムハンマドの死後まもなく、ファーティマの死をめぐって論争が起こった。スンニ派は、ファーティマが父を失った悲しみで亡くなったとする。シーア派は、ファーティマは彼女の家への攻撃で負った負傷によって流産し、死亡したとする。そして新しくカリフとなったアブー・バクルはウマルに自身の権威を強化するよう命じたのだという。 ファーティマとアリーはアブー・バクルのカリフ制を受け入れなかった。 二人は、ムハンマドが後継者としてアリーを選んだと主張した。 シーア派の伝承によると、アブー・バクルはガディール・フンムの出来事においてアリーに忠誠を誓った。ファーティマは死後、秘かに埋葬され、正確な埋葬場所は不明である 。 系図 生涯 スンナ派の伝承によれば606年、シーア派の伝承によれば614年に、預言者ムハンマドとその最初の妻ハディージャの娘としてマッカで生まれた。 結婚 ムハンマドがマッカからマディーナに移住した後、ウマルとアブー・バクルと他の何人かはファーティマと結婚することを望んだが、ムハンマドは彼らの求婚を拒否し、自分は何をすべきか神が命じるのを待っていると告げた。しばらくしてムハンマドはアリーに、神が娘をアリーと結婚するように命じたと語った。しかしアリーは貧困のため敢えて求婚しなかった。そこでムハンマドはアリーのために助け舟を出した。 ムハンマドはアリーに、ファーティマの持参金に十分な資金を調達するため、彼の鎧を売るように言った。 ムハンマドの助言によれば、金額の3分の1から3分の2は香水に費やされ、残りは家庭の必需品に費やされた。 それから、ムハンマドはファーティマに彼がアリーと結んだ約束を知らせた。 イブン・サッドによれば、ファーティマは何も言わず、ムハンマドはこれを満足のしるしと見なした。 ホセインナスルは、アリーとファーティマの結婚は、ムハンマドの親戚の最も重要で、神聖な人物同士の結婚と見なされている故に、すべてのイスラム教徒にとって特別な宗教的重要性を持っているとする。ムハンマドはほとんど毎日ファーティマを訪ね、そして結婚の宴においてアリーに近づき、彼はこの世界でも来世でも自分の兄弟であると述べた 。