
アブド・アルカーディル(Emir Abdelkader)
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アブド・アルカーディル(1808年9月6日 - 1883年5月26日、عبدالقادر الجزائري)は、フランスによるアルジェリアの植民地化に抵抗した人物。アルジェリア民族運動の父とも評価される。アブデルカーデルと表記されることもある。 当時のアルジェリア政策 1830年にフランスがオスマン=トルコ帝国からアルジェリアを獲得すると、フランス対岸にあるアルジェリアはイギリスにおけるインド同様の最重要地域となり、積極的に植民活動が繰り返されてきた。法的には地理的な要因からも植民地というよりも本国領土の延長として取り扱われて併合同然の扱いであり、土地の収奪、先住民の民族性の破壊、イスラム信仰の弾圧、徹底的搾取、あらゆる参政権の拒否が行われていた。また政権に対する反対者などのアルジェリア追放も頻繁に行われ、彼らはアルジェリアを活動の拠点としてより積極的に収奪に参加した。一切の権利を許されず、土地所有制度を破壊されて土地を買い叩かれるか収奪されるばかりのアルジェリアの諸民族は強く反発し、各地でゲリラ戦を含む抵抗活動が発生した。そのために最終的に100万人以上の植民を行いながらも、植民政策は予定通りに進まない状況に陥っていた。アルカーディルの闘争はこれらの時代背景に支えられていた。 生涯 1808年、アルジェリアのゲトナ村で生まれた。祖父・父親マフィ=エディンの代からのスーフィー教団の指導者であった。1830年よりフランスによるアルジェリア侵略が始まると、フランスに対するジハードを宣言し、16年間の長期にわたる抵抗を続けた。一時はアルジェリアの三分の二を制圧し、軍事・財政面での近代化も図られた。1847年に降伏すると、その後1852年までフランスのポー城に幽閉された。ルイ・ナポレオン政権のもとで釈放され、一時小アジアのブルサにとどまったあと、シリアのダマスクスで暮らした。一部のアルジェリア人は、アブド・アルカーディルの教えを求めて、ダマスクスへと移った。シリアに移った後、アルジェリアの「アラブ王国」化構想を抱いていたナポレオン3世に協力し、1860年にレジオン・ドヌール勲章を授けられた。1883年に死去。 アブド・アルカーディルはラクダの乳を馬に飲ませているサハラ砂漠の住民について、次の言葉を残している。