
エル・シッド(El Cid)
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ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール(Rodrigo Díaz de Vivar、1043年? - 1099年7月10日)、通称エル・シッド(El Cid)は、11世紀後半のレコンキスタで活躍したカスティーリャ王国の貴族。叙事詩『わがシッドの歌』の主人公としても知られる。 名前 シッドという名はアラビア語アンダルス方言で「主人」を意味したスィーディー(سيدي)から来ており、彼の生きていた時代には身分ある人物への敬称として広く用いられていたが、のちにロドリーゴの通称として定着した。アラビア語形ではアル・サイイド(Al Sayyd)となる。ロドリーゴをとくに「エル・シッド・カンペアドール」(El Cid Campeador もしくは Ludriq al-Kanbiyatur)ともよぶ。Campeadorとは「戦場の勇者」を意味するラテン語「campi doctor」から派生した言葉で、キリスト教の同胞によって名付けられた。 なお現代スペイン語ではCidは、あえてカタカナ表記するなら「シッ」あるいは「シッド」(ただしdの音は聞こえるか聞こえないほどの弱さ)に近い音であるが、日本では1961年制作の映画『エル・シド』から「シド」の表記も見られる(スペイン語の日本語表記#語尾の子音参照)。 生涯 誕生 ブルゴスの北にある小さな町ビバールで生まれる。その正確な誕生日は未だに不明であるが、1043-1045年の間ではないかと言われている。 シッドの父はディエゴ・ライネスと呼ばれていたことが知られ、幾つかの戦いに参加した軍人である事が知られている。若き日のシッドは、そういった縁もあって、サンチョ2世付きの小姓としてカスティーリャの王家に育てられた。1063年の春頃にグラウスの戦いが起こり、シッドはサンチョ2世と共にこの戦いに参加している。 サンチョ2世 1065年にフェルナンド1世が死去。その領地は息子達に分割相続された。 サンチョ2世はカスティーリャ王国を受け継いだが、長男として全ての領地を受け継ぐべく戦争を開始した。弟達を打ち破り領土の再統一を行い、シッドもサンチョ2世の下で活躍する。しかし、サンチョ2世は1072年に暗殺されてしまう。 アルフォンソ6世 サンチョ2世の暗殺については、弟アルフォンソ6世とその姉ウラカが首謀者とも言われるが定かではない。アルフォンソ6世が王位を継ぐと、シッドはカスティーリャから追放された。