
エドワード・ヒース(Edward Heath)
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サー・エドワード・リチャード・ジョージ・ヒース(Sir Edward Richard George Heath 、1916年7月9日 - 2005年7月17日)は、イギリスの政治家、庶民院議員(在職:1950年 - 2001年)、首相(在任:1970年 - 1974年)、保守党党首(在任:1965年 - 1975年)、指揮者。 生涯 生い立ち 1916年7月9日、大工の息子として生まれる。オックスフォード大学に進学し、オックスフォード・ユニオンという弁論部の会長となる。これは、多くの政治家を輩出した名門弁論部であった。 軍歴 卒業後、ヒッチハイクで北欧・東欧を旅行するが、直後に第二次世界大戦が勃発した。志願してイギリス陸軍に入隊、中佐まで昇進した。戦後、人事院、民間航空省、『チャーチ・タイムズ』編集長、銀行などの職を経験した。 政治家 1950年の総選挙でベスクレーから保守党候補として立候補し、当選を果たす。その後は主に党務に専念し、ウィンストン・チャーチルら党首の覚えもよかったが、スエズ危機への対応を巡って分裂した党内をまとめ上げたことで頭角を現した。 マクミラン政権で労働大臣、外務政務次官、国璽尚書兼副外相を歴任する。欧州経済共同体 (EEC)加盟交渉にも責任者として関わり、結果的にフランスのシャルル・ド・ゴールの反対でイギリスのEEC加盟は失敗に終わったものの、高い交渉力が閣僚や野党労働党からも高評価を得た。この時期、ヒースは「ミスター・ヨーロッパ」のあだ名で呼ばれた。 1964年の総選挙で、アレック・ダグラス=ヒューム率いる保守党が敗れると、党首の辞任後、保守党史上初の下院議員による党首選挙が行われた。ヒースはこれに出馬し、モードリング元蔵相、パウエル元保健相を下して保守党の党首となった。先述のEEC加盟交渉時における評価と、労働党党首のハロルド・ウィルソンへの対抗上、非上流階級出身という点もプラスに作用した。 首相就任 1970年の総選挙では、大方の予想が保守党不利と見られており、ヒース自身も自分の選挙区で落選の可能性が囁かれていた。しかし、結果は予想に反しての保守党勝利に終わり、ヒースは首相に就任する。 就任後は、文化大革命最中の中華人民共和国を訪問して毛沢東との会談を実現し、文化大革命中に同国が支援する暴動に襲われた植民地の香港の保全に努めた。また、長年の懸案であった欧州共同体(EC) への加入も1973年に果たした。