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杜甫

杜甫(Du Fu)

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杜 甫(と ほ、簡体字: 杜 甫; 拼音: Dù Fǔ; ウェード式: Tu⁴ Fu³、712年(先天元年) - 770年(大暦5年)は、中国盛唐の詩人。字は子美。号は少陵野老、別号は杜陵野老、または杜陵布衣。「杜少陵」「杜工部(検校工部員外郎)」「杜拾遺(左拾遺)」とも呼ばれる。杜預の末裔。律詩の表現を大成させた。幼少の頃から詩文の才能があり、李白と並ぶ中国文学史上最高の詩人として、李白の「詩仙」に対して、「詩聖」と呼ばれている。また晩唐期の詩人の杜牧の「小杜」に対し「老杜」「大杜」と呼ばれることもある。 略歴 712年(先天元年) : 河南府鞏県(現在の河南省鄭州市鞏義市)で生まれる。父親は杜閑、母親は崔氏。兄弟は四人。襄州襄陽県(現在の湖北省襄陽市襄州区)の人。杜甫の家は代々地方官であった。本貫は京兆郡杜陵県。三国時代から西晋の武将であり、「破竹の勢い」で有名な杜預は先祖にあたる。その曾孫杜遜に至って襄陽にうつり、その後、杜依芸に至って、鞏県の県令となり、河南府鞏県に遷った。この杜依芸の子・杜審言は「文章四友」の一人に数えられた初唐の宮廷詩人である。この杜審言の子の杜閑が奉天の県令となり、その子が杜甫である。杜甫はその遠祖の地によってしばしば「京兆の杜甫」と名のるが、同時に襄陽に分かれた支派の後裔として「襄陽の人」と呼ばれることも多い。一見矛盾する来歴は以上の経緯による。また杜甫の叔父(杜審言の次男)の杜並は、杜審言が仇人司馬季重らのため、無実の罪を被せられて、獄につながれ、しかも事にかこつけて殺されているのを憤り、まだ13歳の少年であったが、仇人季重を刺殺し、その場で自分も殺された。この事件は当時世間を感動させたことであったが、杜甫の血液にはこうした剛直な精神も流れていたと見てもよいであろう。杜甫の母は、清河崔氏の出身で、杜甫の幼少のときに亡くなった。ただこの母方の親戚はかなり大きな一族であった。 715年(開元4年) : 許州郾城県で公孫大娘が剣器渾脱を舞うを見る。 718年(開元7年) : 初めて詩文を作成する。 720年(開元9年) : 初めて大字を習う。 725年(開元14年) : 故郷に隣接する洛陽で文人の仲間入りを果たす。 730年(開元18年) : 晋に遊び、郇瑕(現在の山西省運城市臨猗県)に至る。 731年 - 734年(開元19年 - 22年) : 呉・越に滞在する。 735年(開元23年) : 呉・越から洛陽に帰って来て、科挙の進士を受験したが及第せず。 736年 - 740年(開元24年 - 28年) : 斉・趙に遊び、蘇源明と交わる。杜甫がこの地方に遊んだのは、当時父の杜閑が兗州の司馬の官にあったので、その父のもとを尋ねるのが1つの目的であった。

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