
ディートマー・ハマン(Dietmar Hamann)
日別に見る
この人は?
ディートマー・ハマン(Dietmar Hamann, 1973年8月27日 - )は、ドイツ・バイエルン州ヴァルトザッセン出身の元同国代表サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。ディトマール・ハマンとも表記される。 クラブ経歴 初期 地元の小クラブであるFCヴァッカー・ミュンヘンのユースでキャリアを始める。1989年、16歳の時にバイエルン・ミュンヘンのユースへ移籍、1993年にトップチームでデビューを果たした。ローター・マテウス、トーマス・ヘルマー、クリスティアン・ツィーゲ、オリバー・カーンらに率いられたチームに加わり、プロ初年度は主に右ウィングとして5試合に出場した。当初ハマンは所謂Vertragsamateur(直訳すると契約アマチュア、プロの試合への出場が許可されたアマチュア選手)にすぎなかったが、控え選手として彼にとって最初のブンデスリーガ優勝を経験した。翌シーズンは、マテウス、アラン・ズッター、ディーター・フライ、マークス・シュップらの相次ぐ負傷離脱によりレギュラーの座を掴みブンデスリーガで30試合に出場し、右ウィングや守備的中盤をこなせる選手としての地位を確立し、完全なプロ契約を勝ち取った。 1995-96シーズン、クラブがユルゲン・クリンスマンをはじめオットー・レーハーゲル監督、アンドレアス・ヘルツォーク、トーマス・シュトルンツ、チリアコ・スフォルツァらを獲得する大型補強を敢行した影響で、前年より出場機会は減少したもののリーグ20試合でプレーした。チームが協調性を欠く中でハマンは安定性をもたらし、リーグは2位に終わりレーハーゲルは解任されたもののUEFAカップで優勝した。 1996-97シーズンはハマンにとって躍進の年となった。それまで控え選手としての期間がほとんどであったが、ジョヴァンニ・トラパットーニが監督に就任すると、ハマンを守備的MFのレギュラーに据え新加入のマリオ・バスラーを右ウィングに起用した。リーグ23試合に出場し自身2度目のリーグ優勝を果たし、ドイツ代表でのデビューも飾った。シーズン終了後、意識不明に陥り脳梗塞と診断を受けたがこれを克服した。1997-98シーズン、昇格クラブでありながら優勝を果たした1.FCカイザースラウテルンの後塵を拝し2位に終わるも、自身はリーグ28試合に出場し2ゴールを記録。DFBポカールではMSVデュースブルクを破り優勝した。 ニューカッスル 1998年のフランス・ワールドカップに出場した後、ケニー・ダルグリッシュ率いるニューカッスル・ユナイテッドFCに550万ポンドの移籍金で加入した。脚の負傷から早々に復帰し、31試合出場し5得点を挙げた。1999年のFAカップ決勝ではマンチェスター・ユナイテッドFCに2-0で敗戦し準優勝に終わった。
経歴
- 1973Born
- 1992Joined FC Bayern Munich II
- 1993Joined FC Bayern Munich
- 1993Joined Germany national under-21 football team
- 1993Joined Germany national under-20 football team
- 1997Joined Germany men's national association football team
- 1998Joined Newcastle United F.C.
- 1999Joined Liverpool F.C.
- 2006Joined Manchester City F.C.
- 2006Joined Bolton Wanderers F.C.
- 2010Joined Milton Keynes Dons F.C.
- 2015Joined TuS Haltern
豆知識
- •Place of birth: Waldsassen
- •Citizenship: Germany
- •Known as: association football player, association football coach
- •Sport: association football