
ディック・チェイニー(Dick Cheney)
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ディック・チェイニー(英語: Dick Cheney)、本名リチャード・ブルース・チェイニー(Richard Bruce Cheney、1941年1月30日 - 2025年11月3日)は、アメリカ合衆国の政治家、実業家。アメリカ合衆国第46代副大統領(在任: 2001年1月20日 - 2009年1月20日)。ワイオミング州選出連邦下院議員、第17代国防長官を歴任した。 来歴・人物 1941年1月30日にネブラスカ州リンカーンに誕生し、ワイオミング州のキャスパーで育った。父と母は農務省に勤務しており、熱烈なニューディーラーだった。イェール大学に数学期在籍したが中退し、その後、ワイオミング大学に編入学して政治学を専攻し、そして卒業して学士号を取得した。1966年にワイオミング大学大学院政治学専攻修士課程を修了し、政治学修士号を取得した。更にウィスコンシン大学大学院博士課程に移り、同大学大学院博士課程政治学専攻時代に当時のウィスコンシン州のウォーレン・ノールス州知事のスタッフを務める。これがチェイニーが政界との接点を持つきっかけとなる。 この間の1969年にチェイニーは合衆国政府の機会均等局(the Office of Economic Opportunity)で勤務していた。この時の上司である局長は後に自身が副大統領となった時の国防長官を務めていたドナルド・ラムズフェルドだった。 首席補佐官 リチャード・ニクソン政権では大統領次席法律顧問を務め、ニクソンがウォーターゲート事件により辞任した後はジェラルド・フォード政権で史上最年少の34歳で大統領首席補佐官となる。 連邦下院議員 フォード政権が終了した後は地元のワイオミング州から下院選挙への出馬を決意。1978年の選挙では難しいとされながら当選を果たし、1989年まで6期務める。1981年には当選2回ながら首席補佐官時代の調整・政策立案能力を買われてナンバー4の下院・政策委員長に就任し、イラン・コントラ事件の事態収拾に尽力した。人種隔離政策を推進していた南アフリカのピーター・ウィレム・ボータ政権には宥和的で、1986年の同国に対する制裁法案には反対票を投じている。1989年には共和党の下院院内幹事を務めていたトレント・ロットの上院鞍替えに伴い院内幹事に就任。将来の院内総務・共和党の過半数奪回後の下院議長は確実と見られていた。