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デヴィ・スカルノ

デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno)

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この人は?

デヴィ・スカルノ(Dewi Sukarno、1940年〈昭和15年〉2月6日 - )は、日本生まれでインドネシア国籍の政治活動家・タレント。インドネシアのスカルノ元大統領の第3夫人。NPO法人アースエイドソサエティ総裁。株式会社デヴィーナ・ソサエティ代表取締役。2019年7月からはYouTuberとしても活動している。本名及びインドネシア名はラトナ・サリ・デヴィ・スカルノ(Ratna Sari Dewi Sukarno)。旧名および日本名は根本 七保子(ねもと なおこ)。通称はデヴィ夫人。 スカルノ大統領との間に生まれた一人娘のカリナは、2005年(平成17年)11月26日にオランダで米系大手金融機関シティバンクの欧州・中近東・アフリカ地区CEOフレデリック・シーガスと結婚している。 来歴 生い立ち 東京府東京市麻布区霞町(現在の東京都港区西麻布)に父・兵七郎と母・政子(福島県双葉郡浪江町出身)の間に生まれる。父は麻布区霞町界隈の大工の棟梁であり、弟が1人いた(八曾男)。太平洋戦争中は、母・弟の3人で浪江に疎開していた。家庭は裕福ではなかった。 無名エキストラ女優~高級クラブ 1955年(昭和30年)、15歳の時、新東宝制作の映画『青ヶ島の子供たち 女教師の記録』(白黒映画)にエキストラ出演。 地元の高陵中学校卒業後、東京都立三田高等学校定時制課程に進学すると同時に、150倍の難関を突破して千代田生命保険(現・ジブラルタ生命保険)に入社したが、貧しい家計を維持するため、昼休みや休日にも喫茶店などでのアルバイトを掛け持ちする日々を送った。 1956年に父が亡くなった事に伴い高校を中退した後、赤坂の有名高級クラブ「コパカバーナ」で働く。 1959年(昭和34年)9月、19歳のとき、人口2億6400万人を擁し世界最大のイスラム教国家であるインドネシアへの開発援助に伴い、大野伴睦や河野一郎、児玉誉士夫が役員を務め伊藤忠商事との取引関係をもっていた東日貿易の秘書という名目で建国の父であるスカルノ大統領のもとに送り込まれた。この件に当時「昭和のフィクサー」と呼ばれた児玉誉士夫が関わっていたという説がある。 スカルノ大統領夫人 独立後間もない上に、東西冷戦下にあったインドネシアにおいて、当時スカルノ大統領は日本外交や資金援助の取り付け等を非常に重要視していた。インドネシアに渡って数年は愛人の1人であったが、1962年(昭和37年)にスカルノと正式に結婚、4人の夫人のうちの第3夫人になる。

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