
コラソン・アキノ(Corazon Aquino)
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マリア・コラソン・スムロン・コファンコ・アキノ(英語: María Corazón Sumulong Cojuangco Aquino、タガログ語: María Corazón Sumulong Cojuangco-Aquino、1933年1月25日 - 2009年8月1日)は、フィリピンの政治家。同国第11代大統領(任期:1986年2月 - 1992年6月)。1983年8月に上院議長である夫のニノイ・アキノが暗殺された後、フェルディナンド・マルコス大統領に対抗した。愛称はコリー(Cory)。 生涯 生い立ち 1933年1月25日にタルラック州パニキにて、富裕な華人の家庭に誕生した。祖先は福建籍の客家である。なお結婚前の名前はマリア・コラソン・スムロン・コファンコ(María Corazón Sumulong Cojuanco)で、中国名は許娜桑。 1953年にアメリカのニューヨーク州にあるマウント・セント・ヴィンセント大学(フランス語専攻)を卒業した。 ニノイ・アキノの妻 1954年10月にニノイと結婚した。ニノイはその後州知事から上院議員となったが、マルコス大統領と対立し、1980年にアメリカ合衆国のニューヨーク州ニューヨークへ亡命した。 1983年8月21日にマルコスの独裁打倒のために帰国したところをマニラ国際空港で暗殺され、これを機に妻であるコラソンが急速に反マルコス独裁の象徴となっていった。 1985年11月にアメリカのテレビ局のインタビューで、マルコスが政権の正当性と権威に対する疑問を払拭するために、1986年2月の繰り上げ大統領選挙を実施することを突如発表したことは世界を驚愕させた。当初コラソンは大統領選挙に立候補することに消極的だったが、100万人の署名が集まり、人々の叫びに耳を傾けることを説得された。当初は協力を拒んでいた亡夫の親友で野党実力者のサルバドール・ラウレル(後のアキノ政権の副大統領)と共闘して、マルコスに対抗することも決まった。 革命 1986年2月に行われた繰り上げ大統領選挙に出馬し、マルコスもコラソンも勝利宣言をする。この時、マルコス陣営の得票不正操作が判明し、フアン・ポンセ・エンリレ国防相やフィデル・ラモス参謀長ら国軍改革派が決起し、結果100万の市民がこれを支持して通りを埋め尽くしたため、マルコスは権力を失って2月25日にコラソンが大統領就任を宣言した。マルコスはアメリカ軍に一家を北イロコス州へ避難させることを要請し、一家はヘリコプターでマラカニアン宮殿を脱出するが、意に反してハワイへ飛び、事実上の亡命に追い込まれた。これをエドゥサ革命またはピープル・パワー革命と呼び、この大統領就任を受けて、『タイム』から1986年のパーソン・オブ・ザ・イヤーに選出された。