
チャド・ブラッドフォード(Chad Bradford)
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チャドウィック・リー・ブラッドフォード(Chadwick Lee Bradford, 1974年9月14日 - )は、アメリカ合衆国ミシシッピ州ジャクソン出身の元プロ野球選手(投手)。 略歴 生い立ち 1974年9月14日にミシシッピ州ジャクソンで生まれた。チャドが2歳になる少し前、父は脳卒中により障害が残った。チャドが7歳のころにはキャッチボールができるようになったが、利き腕が肩より上にあがらないので、サブマリン投法で投げ返した。これが少年時代のチャドの記憶に刻まれた。 地元のバイラム高等学校へ進学したが、野球部のムース監督にはピリッとしない怠け者で、友達とたむろしたいために部活をやっているように映り、試合に出られればいいほうで、「カーブの切れがとんでもなく悪かった。球威もない。ストレートは止まって見えた」と評している。 ハインズ・コミュニティ・カレッジへ進学し、1994年末にはシカゴ・ホワイトソックスは来年の権利を獲得するために同年6月のドラフト34巡目で指名されたことを電報で知らせるも、財政的に苦しく指名されず、南ミシシッピー大学へ進学。1996年にホワイトソックスから13巡目での指名を受け、大学かマイナーリーグか悩んだ末に契約。 マイナーリーグ 大学リーグで通用した140キロ弱のストレートが通用せず、18歳の時に結婚をしており、子供も生まれたため、大学を卒業したほうがよかったのではと、後悔がよぎった。1998年のスプリングトレーニングで球団からは結果が残せないとクビと言われ、首にならないことを目標に迎えたスプリングトレーニングの終わり頃には、今までよりさらに低い位置からボールを放つようになり、球に切れが出て、打者を手玉に取った。その後2Aの打者も手玉にとり、6月末に3Aのカルガリー・キャノンズに昇格した。 3Aでチャドは生れて初めてサブマリン投法で投げるようになった。速球のスピードは130から135キロくらいだったが、キャッチャーのミットに収まる秒数は、普通のオーバースローの投手の151キロのと同じで、変化球は一度浮いてから沈むシンカーとスライダーを投げた。試合はチャドの独擅場となり、打者は「打ちにくい」、「球筋が読みにくい」、「とんだ食わせ者だ」とこぼした。 メジャーリーグ 1998年8月1日にメジャーデビューを果たした。その後シーズン終了までに32イニングを投げ、被本塁打は0だった。球団はチャドの活躍を評価せず、1999年、2000年はシーズンの大半を3Aで過ごした。日本のほうが高く評価してもられるかもしれないと、妻には日本でプレーしたいと漏らした。