
カッシウス・ディオ(Cassius Dio)
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ルキウス・カッシウス・ディオ・コッケイアヌス(ラテン語: Lucius Cassius Dio Cocceianus ギリシア語: Δίων ὁ Κάσσιος 155年(163年、164年説あり) - 229年以降)は、ローマ帝国の政治家、歴史家。カッシウス・ディオと略称される他、ギリシャ語でディオン・カッシオスと称される事もある。 自らが目撃した同時代史を含む、神話の時代からアレクサンデル・セウェルス帝即位までの歴史を記述した大著『ローマ史』を執筆した事で知られている。80巻からなる同著は22年間の月日を費やして書かれたとされ、歴史学上の一級資料として扱われている。政治家としては帝政ローマ時代の元老院議員を務め、執政官・総督などを歴任した上流貴族であった。 概要 属州ビテュニアのニカイアで、ギリシャ系の元老院議員カッシウス・アポロニアヌスの子として生まれる。東ローマ帝国の歴史家たちは母方の縁者(叔父か祖父)はギリシア系の著述家ディオン・クリュソストモスであったと主張しているが、疑わしいとする論者も少なくない。個人名はルキウスであったとされるが、1970年にマケドニアで出土した石碑にはClの頭文字が刻まれており、クラウディウスだったのではないかとする説がある。 ディオ家はローマ市民権を持ち、ローマ人の名門氏族であるカッシウス氏族に属し、元老院に議席を持つ上流貴族でもあった。しかしその出自はローマ化を免れた東方属州のヘレニズム世界にあり、ローマ世界とは異郷人の視点から関わっていた。この事は『ローマ史』が一貫してラテン語でなくギリシャ語で書かれている事や、カッシウス・ディオ自身がヘレニズム文化への愛着を表明している事からも窺える。彼は議会の為に定住しているローマ市内を「我が別荘」と呼ぶ一方、ニカイアを「我が家」と呼んでいる。 政治家としてはコンモドゥス帝の時代に議会へ加わり、セプティミウス・セウェルス帝の死後にスミルナ市の長官を務めている。205年には補充執政官に選出され、アフリカ属州とパンノニアの総督を歴任した後、一旦公職を離れたと見られる。しかしセウェルス朝最後の皇帝となるアレクサンデル・セウェルス帝から才覚を高く評価され、二度目の執政官叙任を受けた上で側近に取り立てられた。生来の皮肉屋としての辛辣さは近衛隊からの反感を買ったが、アレクサンデル帝自身からは重用された。晩年にはローマから故郷ニカイアに戻り、そこで病没した。 同名の孫(もしくは曽孫)カッシウスも元老院議員となり、291年に執政官を務めたとされる。