
ブルース・ディッキンソン(Bruce Dickinson)
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この人は?
ポール・ブルース・ディッキンソン(Paul Bruce Dickinson、1958年8月7日 - )は、イングランド出身のロックミュージシャン、実業家、航空機操縦士、英国王立空軍名誉大尉。身長168cm。 アイアン・メイデンのヴォーカリストとして最も知られている。 略歴 学生時代からStyx(1976年)(スティクスとは別のバンド)、Speed(1977~1978年)、Shots(1979年)、Xero(のちにクレジットの問題でメイデン側との係争に発展する)といったバンドで活動を始める。このうちSpeedにおいては1977年にDraculaをレコーディングしており、これが自身にとって初のスタジオ録音となった。その後1980年にブルース・ブルースの名でHR/HMバンド・サムソンのヴォーカリストとなったことでスティーヴ・ハリスに一目置かれ、1981年秋、アイアン・メイデン加入へとスカウトされた。 『魔力の刻印』(1982年)におけるヴォーカルは独特の声質もさることながら声域の広さと圧倒的な表現力によって前任者以上の評価を獲得、ライヴにおいてもアクティヴなステージ・パフォーマンスを行うことで名声を高め、ひいてはバンドとしてのアイアン・メイデンの勇躍に貢献した(この時期の活動についてはアイアン・メイデンの項目を参照)。また、ワイルドなルックスと軽妙なキャラクターはファンの間にアイコンとしても広く浸透し、メンバー同士(主にスティーヴ・ハリス)での音楽的な衝突もありつつ愛された。 アイアン・メイデン加入後のバンド外での初の活動は、『エルム街の悪夢5 ザ・ドリームチャイルド』(1989年)のサントラに使用された Bring Your Daughter to the Slaughter 。(この曲は後にアイアン・メイデンのアルバム『ノー・プレイヤー・フォー・ザ・ダイング』でも取り上げられた)。これに続き、後にアイアン・メイデンのギタリストとなるヤニック・ガーズを擁した初のソロ・アルバム『タトゥード・ミリオネア』(1990年)を発表。 そしてソロ第2作目発表を前に、ソロ活動専念のためアイアン・メイデンを脱退。ロイ・Zと彼のバンド Tribe of Gypsies と共にアルバム『ボールズ・トゥ・ピカソ』(1994年)を完成させる。 次の作曲パートナーとしてギタリストの Alex Dickson を選び、まずはツアーを行って『アライヴ・イン・スタジオA』としてライヴ音源を発表。この新体制で『スカンクワークス』(1996年)を発表し、同時にバンドとしての正式な活動を発表するが、アルバムの売り上げ不振や音楽性の相違ですぐに空中分解してしまう。