
ブレーズ・コンパオレ(Blaise Compaoré)
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ブレーズ・コンパオレ(フランス語: Blaise Compaoré, 1951年2月3日 - )は、ブルキナファソの政治家。同国の大統領を27年間務めた。同国の政党、民主進歩会議(CDP)の創設者でもある。 概要 ブルキナファソ初代大統領のトーマス・サンカラと親交が深かったが、1983年以降の社会主義政権発足につれサンカラとの亀裂を生む。1987年にコンパオレはクーデターを起こして全権を掌握。サンカラを殺害し、その後「矯正」政策と呼ばれる政策を実施。サンカラが生んだ欧米諸国との亀裂の修復や、非同盟政策を取りやめた。また、鉱山を含む国営企業の民営化を促進するなど、ブルキナファソ経済の一部で新自由主義を実践した。 コンパオレ時代の選挙は不正に溢れていたとして批判され、1991年、1998年、2005年、2010年の選挙で再選を繰り返した。この再選により、国民はコンパオレに失望。不安定な政権担当、イスラム過激派の台頭、汚職や腐敗による混乱、そして2014年に任期を延長するために憲法を改正しようとした彼の試みは、2014年のブルキナファソ反政府デモを引き起こした。10月31日にコンパオレは退任。コートジボワールに亡命した。 10月31日の政権終焉まで、コンパオレはブルキナファソで最も在任期間が長い大統領となった。 生い立ち コンパオレは1951年に首都ワガドゥグーから34km離れたジニアレで生まれた。トーマス・サンカラ大統領の時代には法務大臣を務めた。サンカラと出会ったのは、1976年、モロッコの軍事教育センターでのことになる。以来、サンカラとコンパオレは親しい間柄となった。その後、セイェ・ゼルボおよびジャン=バティスト・ウエドラオゴ政権に対するクーデターで大きな役割を担った。1985年にコートジボワール出身のシャンタル・テラソン・ド・フージェールと結婚している。 クーデター 1987年10月15日、コンパオレはクーデターによって当時大統領であったサンカラを殺害し、第6代大統領に就任した。サンカラの殺害について、コンパオレは「事故」と説明していたが、その主張は疑問視されていた。サンカラの遺体は2015年に発見され、銃弾が多数発見されたことから暗殺が証明された。 大統領就任後、コンパオレはサンカラの政策方針の多くを転換した。また就任後、政権に対する謀議を図ったとして、著名な革命家リーダーであったアンリ・ゾンゴとジーン=バティスト・ブカリー・リンガニの2人を排除した。