
ベティ・フリーダン(Betty Friedan)
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この人は?
ベティ・フリーダン (Betty Friedan、1921年2月4日 - 2006年2月4日) は、アメリカ合衆国のフェミニスト、ジャーナリスト、作家。1963年に出版された著書『女らしさの神話』(邦題『新しい女性の創造』)が大きな反響を呼び、米国における第二波フェミニズム(ウーマンリブ運動)の引き金となった。1966年、全米女性組織(NOW) を設立し会長に就任。政府に女性の地位向上、雇用機会、賃金、昇進をめぐる男女差別の解消、人工妊娠中絶の自由化などを呼びかけた。 背景 ベティ・フリーダンは1921年2月4日、ベティ・ナオミ・ゴールドスタインとしてイリノイ州ピオリアに生まれた。父ハリー・ゴールドスタインはロシア系ユダヤ人移民で、街角の小さなボタン屋を繁華街の大宝石店にまで発展させた実業家であった。母ミリアムは地方紙の女性欄担当の編集委員であったが、結婚して家庭に入った。フリーダンは後に、母はいつも冷淡で批判的な態度を取っていたが、これは好きな仕事を辞めざるを得なかった辛さを隠すためだったのだろうと分析している。 経歴 マサチューセッツ州の名門女子大学スミス・カレッジで心理学を専攻し、1942年にスンマ・クム・ラウデ(最優等)で卒業した。さらに、カリフォルニア大学バークレー校大学院のフェローシップ(研究奨学金)を受け、発達心理学者・精神分析家でアイデンティティの概念を提唱したエリク・エリクソンに師事し、心理学の研究を続けた。この後、さらにもう一度フェローシップを受けたため、博士課程に進むつもりであったが、当時付き合っていた物理学専攻の男性に反対されて諦めた。フリーダンはこのことを後のインタビューで繰り返し語っている。 学業を断念し、いったん故郷のピオリアに戻った後、今度はニューヨーク市マンハッタン区のグリニッジ・ヴィレッジに住み、労働関連の新聞にニュースを提供する左派の『フェデレイティッド・プレス(連合通信社)』で編集委員を務めた。1946年には全米電気無線機械労働組合の週刊紙『U.E. ニュース』の記者の仕事を得た。1947年、26歳で舞台演出家のカール・フリーダンと結婚し、ニューヨークシティの郊外、ロックランド郡に居を構えた。二人は三子をもうけたが、フリーダンは第二子の出産で退職。以後、フリーランス・ライターとしてさまざまな雑誌に記事を投稿した(1969年に離婚)。