
バーナード・モントゴメリー(Bernard Montgomery)
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この人は?
初代アラメインのモントゴメリー子爵 バーナード・ロー・モントゴメリー(英: Bernard Law Montgomery, 1st Viscount Montgomery of Alamein, 、1887年11月17日 - 1976年3月24日)は、イギリスの陸軍軍人、政治家。最終階級は元帥。モンティ(Monty)や「砂漠の鷹」「砂漠の鼠」の愛称で呼ばれた。モンゴメリーと呼ばれることもある。第二次世界大戦における連合国軍のヨーロッパ侵攻計画を連合国軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワーと共に最終調整し、ノルマンディー上陸作戦の地上本部隊総司令官を務めたイギリスの英雄。また、大戦の転換点となったエル・アラメインの戦いで連合国軍を率い、枢軸国軍のエルヴィン・ロンメル元帥を撃破した。 モントゴメリーは、明晰な分析力と冷徹な意志、理論と物量に裏打ちされた総合力を持って戦いに挑むことを基本方針とし、その厳密性ゆえに批判もされたが確実な勝利を得る堅実さで部下の士気を高めた。モントゴメリーとソビエト連邦のゲオルギー・ジューコフは、第二次大戦中最も成功した「防勢的な将軍」だったと評されている。 生涯 モントゴメリーは、1887年11月17日にロンドンのケニントン(現在のランベス区)でアングロ系アイルランド人の英国国教会牧師の息子として生まれた。母親は著名な牧師の子供であるが、子供達に非常に厳しい教育を施したため、モントゴメリーは母親に対して複雑な感情を抱いていたとも言われ、1949年の母の葬儀にも多忙を理由に出席しなかった。とは言え、両親から教えられた毎日聖書を読み朝夕神に祈ることを、生涯にわたり日課としていた面もあり、モントゴメリーの強烈な気質は母親譲りだったとも言われる。父親がオーストラリア・タスマニア州の司教に任ぜられたことから、少年時代の8年間をオーストラリアで過ごす。イギリスに帰国し、ロンドンのセント・ポールズ・スクールを卒業後、サンドハースト王立陸軍士官学校に入学したが、元々問題児だったモントゴメリーは、これらの学校でも札付きの不良で退学寸前だったという。1908年に同校を卒業しロイヤル・ウォリックシャー連隊に歩兵少尉として任官した。1909年、インドに転属して初めての海外勤務を経験している。1912年に帰国、ケントのショーンクリフ陸軍基地の大隊副官を務めた。