
バッシャール・アル=アサド(Bashar al-Assad)
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バッシャール・アル=アサド(アラビア語: بشار الأسد, 転写:Bashshār al-Asad, 英字表記例:Bashar al-Assad、1965年9月11日 - )は、シリア(バアス党政権)の政治家、第5代大統領(在任: 2000年 - 2024年)、バアス党地域指導部書記長。宗派はアラウィー派に属す。前任のハーフィズ・アル=アサド大統領の次男。日本の報道機関ではバッシャール・アサドと表記される。 概要 ダマスカスで生まれ育ち、1988年にダマスカス大学を卒業。シリア軍で軍医として働いた。4年後の1992年、ロンドンに本部を置くウェスタン眼科病院で眼科を専門とする大学院に通った。 1994年に後継者候補と目されていた兄のバースィルが交通事故で逝去したあと、急遽バッシャールが指名され、シリアへ帰還。35歳で大統領に就任した。就任後は「ダマスカスの春」と呼ばれる大規模な民主化政策を率いて改革者と評されるも、2001年から2002年にかけての一連の弾圧で終焉を迎えた。以後、アサド政権は父が育んだ権力構造と個人崇拝を引き継いだが、父のような忠誠心を欠いており、統治に対する不満の高まりに直面した。その結果、多くの旧防衛派が辞任または粛清され、「政治的内輪」(政治官僚や経済官僚を含むアサドの部下など)はアラウィー派氏族の忠実な忠誠者に取って代わられた。初期の経済自由化や新自由主義的な改革は貧富の差を悪化させ、アサド家に忠誠を誓う「ダマスカスエリート」による社会的、経済的、政治的権力を集中させてシリア農村住民、都市労働者階級、ビジネスマン、産業家、かつての伝統的なバース党の拠点の人々を疎外した。2005年までシリアは隣国レバノンを占領していたが、ラフィーク・ハリーリの死去に伴う杉の革命により占領を終わらせざるを得なくなった。 多くの学者やアナリストが「極めて個人主義的な独裁政権」と特徴づけ、シリアを全体主義的な警察国家として統治し、自らを世俗主義者と評していたにも関わらず、彼の政権が宗派間の緊張を利用していたと指摘している。2011年、チュニジアから発生したアラブの春の影響を受けたデモ隊がシリア革命を起こし、その後の複雑化と強権化により、シリア内戦と呼ばれる大規模な武装闘争へ突入した。戦争犯罪にも手を染めたと言われており、2013年、グータでのサリンガス攻撃や2017年のカーン・シェイクン化学兵器攻撃、2018年のドゥーマ化学攻撃はアサド政権の責任であると結論付けられている。