
潘基文(Ban Ki-moon)
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潘 基文(パン・ギムン、ばん きぶん、韓国語: 반기문, ラテン文字転写: Ban Gimun、英語: Ban Ki-moon、1944年6月13日 - )は、韓国の政治家。第33代大韓民国外交通商部長官、2007年1月から2016年12月まで9年間第8代国際連合事務総長などを歴任。第11回ソウル平和賞(2012年)受賞者。 生い立ち 忠清北道陰城郡遠南面杏峙村に生まれる。本貫は光州潘氏。8歳の頃、家族は忠州市近くの町に移住し、そこで育つ。朝鮮戦争(1950–1953)の影響を受け、家族とともに避難生活を送る。父親(潘仁淑)は農業を生業としていた他、大問屋に勤務していたが、店が倒産し、一家は中流的な生活水準を失った。 勉強熱心な少年で、高校生のときに「模範学生」として知られていた。1962年には米国の派遣プログラムで初めて海外を訪れ、ジョン・F・ケネディ大統領と会う機会を得た。この経験が彼に外交官を志すきっかけを与えた。 外交官 1970年2月にソウル大学校外交学科を卒業し、同月高等外交官試験に合格、3月に外交部に入部した。1972年の駐インド韓国大使館副領事を初め、1974年同二等書記官など主に海外勤務畑を歩み、1980年に外交部国際組織条約局国連課長に就任した。 その後外交部派遣によりハーバード大学ケネディ行政大学院に留学し、1985年4月に修了、修士号を取得した。1985年4月に首相外交儀礼担当秘書、1987年7月には駐米大使館総領事、1990年6月に外交部米州局局長、1992年2月に外相特別補佐官、1992年7月に駐米公使、1995年2月の外交部副長官を経て、1996年11月には金泳三の外交安全保障担当大統領特別秘書となった。 その後2000年1月に外交通商部副長官、2001年5月に国連大使、2002年2月に無任所大使を経て、2003年2月、大統領盧武鉉(当時)の外交政策補佐官、2004年1月からは外交通商部長官(外務大臣)に任命されている。 盧武鉉政権下では、大統領府主導で政策決定が行われていたため、潘基文は大統領府と外国政府の板ばさみになって大いに苦労した。太陽政策進展に尽力したが、自らの発言の数日後にその発言と反する内容の大統領発言があるなどの出来事もあった。 国連事務総長 国連事務総長への立候補 2006年2月、国連事務総長選挙に立候補することを表明した。他の有力候補にはインド人の国連事務次長(広報局長)シャシ・タルール、タイ王国の副首相スラキアット、スリランカの元国連事務次長(軍縮局長)ジャヤンタ・ダナパラの名が挙げられたが、7月24日に行われた国際連合安全保障理事会の各理事国による予備投票において潘基文は最も多くの票を獲得し、有力候補の一人となった。