
Armando Manzanero
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アルマンド・マンサネーロ(Armando Manzanero、1934年12月7日 - 2020年12月28日)は、メキシコ出身のポピュラー音楽の作曲家、歌手。「アドロ」の作曲家として有名である。 略歴 1935年12月7日に、メキシコのユカタン州メリダに生まれる。先住民のマヤ人の子孫としているサイトもある。 1950年に、自作曲「Nunca en el mundo」(意味: この世に何もない)を発表するが、この曲は様々な言語による21種類の歌詞がつけられるほど、後に注目を集めることとなる。そのころより、ピアニストとしての仕事につく。1957年、CBSインターナショナルのメキシコ支部の音楽担当のマネージャーに就く。1958年、ラテン音楽の有名アーティストの伴奏ピアニストとしての活動を始める。1959年に、『Mi Primera Grabación』(意味: 私の初のレコード録音)というタイトルで初のアルバムをリリースする。また、歌手としての活動にも注目も集まる。 1965年の、アメリカ合衆国マイアミにおけるフェスティバル・デ・ラ・カンシォン(Festival de la Canción)にて、「Cuando Estoy Contigo」 (意味: 二人でいるとき)で第1位をとる。1967年に、「アドロ (Adoro)」を発表するが、この曲は、日本では、グラシェラ・スサーナの歌として有名になり、イージーリスニングの曲としても有名である。 1970年、「Somos novios」(意味: 私たちは恋人同士)にシド・ウェイン(Sid Wayne)による英語の歌詞がつけられ、「イッツ・インポッシブル」としてエルヴィス・プレスリーら有名アーティストによってカヴァーされる。ペリー・コモによる歌唱は、グラミー賞にノミネートされた。別のアメリカ人作曲家によって、アルマンド・マンサネーロの方が、著作権を侵害したとして訴えられ、アメリカ国内での民事裁判の評決は、マンサネーロの側に著作権料を返還する義務を負わせた。この曲は、アルマンド・マンサネーロが作曲したものであり、民事訴訟の判決が誤りであると、後に認定されている。 1978年に、スペインのマジョルカ音楽祭において、「Señor Amor」で第1位を勝ち得る。 通算すると400以上の楽曲を作曲。これらの曲について、自作自演も注目が集められるものの、フランク・シナトラら大物歌手も含め、多くの歌手によるカバーも人気を集めていた。 2020年12月28日、2019新型コロナウイルス感染症に伴う腎不全などの合併症により、メキシコシティの病院で死去。85歳没。