
Andreas Brehme
日別に見る
この人は?
アンドレアス・ブレーメ(Andreas Brehme、1960年11月9日 - 2024年2月20日)は、ドイツ・ハンブルク出身の元同国代表サッカー選手、指導者。ポジションはDF(サイドバック)・MF(ウイングバック・センターハーフ)。1980年代から1990年代にかけて、世界で最も優れた左サイドバックという評価を受けている。 DFからMFまでサイドの様々なポジションでプレーが可能で、利き足が不明な程、両足を使いこなし、正確なクロスボールを供給することを得意とした。強烈なキック力を誇り、ドイツきってのPKやFKの名手でもあり、多くの得点源となった。またポジショニングが良く、相手のプレーを読む能力も秀でていた。 クラブ経歴 父親は元アマチュアのサッカー選手で、 バルマークウーレンホルストの監督をしていた。5歳の時、バルマークウーレンホルストでサッカーを始め、両足でのキックを磨くなど、父親から英才教育を受けた。15歳でファーストチームに昇格、1978-79シーズンにデビュー。この頃、ハンブルガーSVのトライアウトを受けたが、許されたのはセカンドチームへの加入であったため、ウーレンホルストでのプレーを続け、ウーレンホルストのべッケンヴァウアーと呼ばれようになった。1980年、父親がマガトと友人であったことから、ブンデスリーガ2部の1.FCザールブリュッケンに加入し、シーズンを通じて中盤の右サイドでプレーし、好プレーを見せたが、チームは3部降格が決定した。翌1981年にカイザースラウテルンに移籍し、サイドバックで高いレベルのプレーを見せるなど、すぐさま頭角を現した。1986年に国内のバイエルン・ミュンヘンへ移籍。1986-87シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝ではFCポルトに敗れたが、リーグ制覇に貢献した。 1988-89シーズン、インテル・ミラノに移籍したローター・マテウスがチームに獲得を勧めたことで、インテルへ移籍した。開幕戦となった10月9日のアスコリ戦でセレーナのゴールをアシストするデビューを飾ると、2節のピサ戦でセリエA初ゴールを決めた。そのシーズン、クロスで多くのアシストを決めるなど、スクデット獲得に貢献した。この年、イタリアのスポーツ誌 Guerin Sportivoが選ぶシーズン最優秀選手賞にも選ばれた。1991年にはUEFAカップの優勝に貢献、チームメイトのマテウスやクリンスマンと共にドイツ人トリオとして活躍した。1991-92シーズン、チームは8位に終わり、ヨーロッパカップの出場権すら獲得出来ず、このシーズン限りでチームを離れた。