
アーミナ・ビント・ワフブ(Amina bint Wahb)
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アーミナ・ビント・ワフブ(Amina bt. Wahb al-Zuhriyya, c. 549–577)は、6世紀アラビアの女性。イスラームの創唱者である預言者ムハンマドの実母。クライシュ部族のズフラ氏族の出身。 生涯 アーミナは、ズフラ氏族のワフブ・イブン・アブドマナーフを父とし、アブドゥッダール氏族のバッラ・ビント・アブドゥルウッザーを母として、メッカに生まれた。ズフラ氏族の名祖であるズフラという人は、アーミナから父系のみを直列にさかのぼって3代前(アブドマナーフの父、アーミナにとって曽祖父)の男性である。と同時に、のちにアーミナの夫となるアブドゥッラー・イブン・アブドゥルムッタリブの父系先祖のクサイイという人の兄でもある。 アブドゥルムッタリブは末の息子アブドゥッラーをアーミナに結婚させることを彼女の監護権を持つ伯父のウハイブ Wuhayb に持ちかけ、ウハイブが承諾して結婚が成立したとされる。イブン・サアドの Ṭabaqāt によると、アーミナとアブドゥッラーが婚約すると同時に、アブドゥルムッタリブとウハイブの娘ハーラも婚約した、そのためハーラは従姉妹のアーミナと同じ日に結婚したという。Montgomery-Watt (1960) によると、この逸話が真実ならイスラーム期以後には忘れ去られてしまった結婚に関するアラブの慣習が存在した可能性もある。 アーミナはアブドゥッラーと結婚し、妊娠した。生まれた男子が、のちにイスラームを創唱するムハンマド・イブン・アブドゥッラーである。しかし、夫のアブドゥッラーはムハンマドの誕生前、あるいは幼少期に病死してしまい、アーミナは寡婦になった。なお、アーミナが生涯に産んだ子どもはこのムハンマドただ一人である。 ムハンマドは、アーミナの存命中は(ベドウィンの女性の下に一時、預けられた期間を除いては)、母アーミナと一緒に暮らした。おそらくはアーミナの家族とともに生活したようである。 ムハンマドが6歳になったとき、アーミナはムハンマドに再会し、親戚の多いヤスリブに連れて行った。1か月後、自身が所有する奴隷ウンム・アイマンを伴ってメッカに戻る際、アーミナは病気になり、577年あるいは578年ごろに亡くなった。アブワーウ村に葬られたが、墓地は1998年に破壊された。幼いムハンマドは父方祖父のアブドゥルムッタリブが引き取った。 ムハンマドの近親者の救済に関する議論 イスラーム教の来世観は個人主義的である。来世(アーヒラ)は各人の行いに応じて決まる。血統が来世に影響するという考えは批難される。「預言者ムハンマドの父母が火獄(ジャハンナム)にいる」と預言者自身が述べていると解釈可能な真正ハディースが複数、存在する(サヒーフ・ムスリム 1:406, 11:135)。