
アメリゴ・ヴェスプッチ(Amerigo Vespucci)
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この人は?
アメリゴ・ヴェスプッチ(イタリア語: Amerigo Vespucci, 1454年3月9日 - 1512年2月22日)は、アメリカ州を探検したイタリアの探検家にして地理学者。フィレンツェ生まれ。 出身について アメリゴ・ヴェスプッチはフィレンツェ共和国の公証人ナスタジオ・ヴェスプッチとその妻エリザベッタの息子として生まれる。蜂(vespa)に由来する姓であることから蜂の図柄の入った家紋を持つヴェスプッチ家はプラートに源を持つため、プラート門に近いオニッサンティ地区に住んでいた。この地区には画家ボッティチェッリとギルランダイオの家もあり、彼らはヴェスプッチ家のために多くの仕事をこなした。オニッサンティ教会にあるギルランダイオが描いたヴェスプッチ家の集団肖像画に幼いアメリゴの姿がみられる。また、ヴェスプッチの子供の頃の肖像画は、フィレンツェのオグニサンティ教会にあるギルランダイオによって描かれた聖母マリアの一部に描かれている。 父ナスタジオの弟ジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチから教育を受け、ラテン語とギリシア語を習得し、プラトンを始めとする古典古代の文学や地理学に親しむようになる。当時高名な人文主義者として知られたジョルジョ・アントニオはメディチ分家のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの文化人サークルに属していた。ボッティチェッリとギルランダイオもこのサークルと関係を持った。メディチ家追放後にフィレンツェの指導者となったピエロ・ソデリーニとはジョルジョ・アントニオの元で共に学んだ仲であり、アメリゴは『四回の航海』を彼に献じている。 「あの過ぎ去った日々に、私たちは畏敬すべき善知識にして聖マルコ派の修道僧、ジョルジョ・アントニオ・ヴェスプッチ師のよき手本と理論のもとに文法学の初歩を聴講したものでありました」 ヴェスプッチ家はメディチ本家と分家の両方に関わっていたが、一族の中でも最も出世頭であったグイド・アントニオ・ヴェスプッチは本家のロレンツォ・イル・マニフィコに仕えていた。1478年、グイド・アントニオがフィレンツェ大使としてフランスに派遣された際、彼は当時24歳のアメリゴを秘書官として同行させた。当地に約2年滞在して任務をこなした後、ボローニャとミラノの宮廷を経由してフィレンツェに帰国した。