
アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus)
日別に見る
この人は?
アルベルトゥス・マグヌス(Albertus Magnus, 1200年頃 - 1280年11月15日・ケルン)は、13世紀ドイツのキリスト教司教、ドミニコ会修道士、神学者、哲学者。大聖アルベルト(Saint Albert the Great)、ケルンのアルベルトゥスとも呼ばれる。 アリストテレスの著作に関する広範な注釈や、錬金術の実践と検証の試みなど、人文学・自然科学・工学を含む多岐にわたる分野において業績を残した。 カトリックの聖人であり(祝日は11月15日)、幅広い学術的な功績から、普遍博士・全科博士(doctor universalis)と称される。トマス・アクィナスの師としても知られる。教会博士の称号を有し、1941年には教皇ピウス12世により自然科学の守護聖人とされた。 生涯 アルベルトゥスの生年は明らかになっていない。1280年の没年と、ルイス・デ・ヴァラドリード(1414年、パリ)による「約87年の生涯を終えた」という記述から1193年頃とする説がある。一方、1355年頃成立のハインリヒ・フォン・ヘルフォルトの年代記には、1223年頃にアルベルトゥスが「16歳の少年」として修道会に入ったと記されており、これに基づき1206年または1207年とする説もある。いずれも決定的な根拠を欠き、生年は1200年頃、あるいはそれ以前と推定されるにとどまる。 ドイツのシュヴァーベン地方ラウインゲンに生まれる。出自については貴族の子弟とも騎士階級の出ともいわれるが、1222年にヴェネチアおよびパドヴァで叔父と暮らしていたという記録が最古の情報であり、1223年にパドヴァ大学に進み、自由七科に加えて医学を学んだと考えられている。同年ドミニコ会に入会、ケルンのシュトルクガッセにある修道院で修養を積み、司祭に叙階された。 その後、ドミニコ会の学校で研究と講義に従事し、1236年から1238年までフライブルクの修道院学校で講師を務めた。1237年、ドミニコ会の指導者であった、ザクセンの聖ヨルダンの死去に伴う総会において、ドイツ側から後継者として推薦されたが、選出には至らなかった。 1243年から約5年間、パリ大学に留学。1245年に神学修士号を取得し、その後3年間にわたり教鞭を執った。この時期にアリストテレスやユダヤ・アラビア哲学の研究を行い、イタリア人学生であったトマス・アクィナスの指導を行った。1248年にケルンへ戻り、後のケルン大学の前身となる修道会総合学校の創設に関与した。