
ムハンマド・ブン・イドリース・シャーフィイー(Al-Shafi'i)
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アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・ブン・イドリース・シャーフィイー(アラビア語: أبـو عـبـد الله مـحـمـ بـن إدريـس الـشـافـعيّ, Abū ʿAbdullāh Muhammad b. ʿIdrīs al-Shāfiʿī)は、イスラーム法学者の一人。西暦767年に生まれ820年に没した(ヒジュラ暦150年-204年)。シャーフィイーは、スンナ派法学における四人の偉大なイマームの一人とされ(イマーム・シャーフィイー)、しばしば「シャイフル・イスラーム」(Shaykh al-Islām)と呼ばれる。シャーフィイーの教えの流れを汲む弟子たちは、「シャーフィイー法学派」という法学派(マズハブ)を形成した。 導入 シャーフィイーの足跡を正確にたどるのは難しい。ダーウード・ブン・アリー・ザーヒリーがそうしたシャーフィイーの伝記を書いた最初の人物であると言われているが、現代に伝存していない。現伝する最古の伝記は、イブン・アビー・ハーティム・ラーズィーのものであるが、アネクドートを寄せ集めたに過ぎないものであり、しかもその中には荒唐無稽なものも含まれている。その後、ザカリーヤ・ブン・ヤフヤー・サージー(Zakarīyah b. Yahya al-Sājī)により、シャーフィイーの生涯の大まかな流れが記述されたが、それでさえも多数の伝説がすでに入り込んでしまっている。実質的に最も古いシャーフィイーの伝記は11世紀のアフマド・バイハキーが書いたものになる。 生涯 先祖 シャーフィイーは、クライシュ族に属するクランの一つ、バヌー・ムッタリブ(ムッタリブ家)に属する。このクランは、ムッタリブ・ブン・アブド・マナーフを共通の父系先祖に持つ集団であり、預言者ムハンマドやアッバース朝カリフたちが属すバヌー・ハーシム(ハーシム家)とは、ムッタリブからさらに父系を遡った上の世代に、共通の先祖を持つ関係にある。こうした出自は、シャーフィイーに威信を与えたようである。彼は貧しい育ちながら、社会の上層とのつながりを持った。