
ビールーニー(Al-Biruni)
日別に見る
この人は?
アブー・ライハーン・ムハンマド・イブン・アフマド・アル=ビールーニー・アル=フワーリズミー(Abū Rayḥān Muḥammad ibn Aḥmad al-Bīrūnī al-Khwārizmī, 973年9月4日/9月5日 - 1048年12月13日)は、10世紀のホラズム出身の学者。数学、天文、地理、歴史にわたって100篇を超える著書があったと見られる。現伝するのはそのうち30篇弱。代表的な著書としては、歴史書『過去の足跡』、地理書『インド誌』、精密科学書『占星術要約』、百科全書『マスウード宝典』があり、20世紀前半のアラビア科学研究における権威ジョージ・サートンは、11世紀前半を「ビールーニーの時代」と呼んだ。 生涯 アル=ガダンファルによると、ビールーニーはヒジュラ暦362年巡礼月の3日(西暦973年9月4日)に、ホラズムの首府カースの「ビールーン」で生まれたという。ここで言う「ホラズム」は4世紀からホラーサーン地方に存在した王朝、アフリーグ朝を指し、「ビールーン」(bīrūn)とは(アラビア語ではなく)ペルシア語で「郊外」を意味する普通名詞である。なお、カース(Kāt or Kāth)は、20世紀ソ連の考古学的調査により、現在のウズベキスタン領内から城址が発掘され、近くにある街の名前が本項のビールーニーに敬意を示してベールーニーに改称された。 アブー・ナスル・マンスールの下で数学を学び、イラン、中央アジアの各地を遊歴した。イブン・スィーナー(アウィケンナ)とも交流を持った。サーマーン朝の君主マンスール2世やホラズム・シャーのマアムーンなどに仕えたが、ガズナ朝がマー・ワラー・アンナフルを征服するとこれに仕えるようになった。1000年頃、後にゾロアスター教の重要な資料となる『古代諸民族年代記』を執筆した。 1017年から1030年にかけて、ガズナ朝のスルターン・マフムードに仕えた。マフムードの十数回に及ぶインド遠征にたびたび随行し、インドの民俗、歴史、法律および言語をまとめた『インド誌』を1030年に完成させた。同年、天文学書『マスウード宝典』をまとめあげた。この本の中で、アーリヤバタの地球の自転説を紹介したが、採用はしていない。また、地球の半径を約6,339.6kmと計算している。現在の観測による数値(赤道面での半径)は6,378kmであり、極めて正確であったといえる。ちなみに『シャー・ナーメ』の著者フェルドウスィーとも同時代人である。