
Akihiro Miwa
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美輪 明宏(みわ あきひろ、1935年〈昭和10年〉5月15日 - 2026年〈令和8年〉6月20日)は、日本の歌手。個人事務所「オフィスミワ」所属。俳優、演出家、タレント、声優、コメンテーター、ナレーターとしても活動していた。本名および1971年までの芸名は丸山 明宏(まるやま あきひろ)。愛称はマルさん。長崎県長崎市出身。 生涯 生い立ち 1935年(昭和10年)5月15日、長崎県長崎市本石灰町で父・寺田作市と母・ムメとの間に、5人兄弟の次男として誕生する。きょうだいには兄と姉と弟がいる。出生名は寺田臣吾だった。4歳の頃、母の実家の跡継ぎとしてきょうだいの中から一人、臣吾が丸山家に養子に出され「丸山臣吾」へと改姓、継母の丸山ミツに迎えられた。 美輪の実家は、長崎市内の「丸山遊廓」と呼称された遊廓の近くで、「世界」という名前のカフェーや料亭を経営して成功を収めており、比較的お金に困らない豊かな環境で育った。当時の長崎は軍国主義前で、モダニズムが世の中を支配していた時代であった。400年の歴史のある長崎は、オランダ、ポルトガル、スペイン、イギリスをはじめ、中国・朝鮮人など多様な人種が住んでおり人種差別など皆無であった。 実家は、料亭やカフェーのほか風呂屋も経営していた。家庭風呂などない時代であり、良家の者も風呂屋に通っていた。立派な身なりの人がコートからだんだん脱いでいって、さぞかし立派な裸だろうと想像していたら、気の毒なほど貧相な体であったり、逆に労働者が臭うような野良着を着て堂々と入ってきたが、ところが裸になるとマイヨールの彫刻のような素晴らしい体をしていた。それを見た丸山は、「着るものなど嘘っぱちじゃないの!この裸のままが本当の人間なんだ」と感じ、それ以降、人を見るときに容姿、容貌、年齢、性別、身分、国籍、学歴、着ているもの、持っているものなど目に見えるものは見なさんな、見えないものを見る、それは心だ!そういう意識が幼心に芽生えた。 カフェーではありとあらゆる人が身分を隠して来ていたが、そこには神父もいれば教師や政治家もいて、はじめは紳士然としていても酔うほどに正体を現して、ホステスのスカートの下や着物の裾から手を入れたり頭を突っ込んだりして引っぱたかれ、頭から酒をかけられてニヤニヤしていたが「この人の昼間の顔何なの?これが本当の姿なんだ」と、ものを見る目がそうなってきたため、心が揺るがなくなった。 1941年12月、イギリスやアメリカ合衆国との戦争体制に入った中で父親は「敵性文化を商売にする事は時局にそぐわぬ」と言われて、やむなくカフェーを閉店せざるを得なくなり、金融業に転業する。