
Accidente de Chernóbil
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チェルノブイリ原子力発電所事故(チェルノブイリげんしりょくはつでんしょじこ、ロシア語: Авария на Чернобыльской АЭС、ウクライナ語: Чорнобильська катастрофа、英: Chernobyl disaster)は、1986年4月26日午前1時23分(モスクワ標準時)に、ソビエト連邦の構成国であるウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた原子力事故である。 のちに決められた国際原子力事象評価尺度 (INES) では、深刻な事故を示すレベル7に分類された。 なお、2022年に始まったロシア・ウクライナ戦争に伴ってそれまでロシア語読みだった「キエフ」を「キーウ」と改称したことに伴い、チェルノブイリも「チョルノービリ」と呼称するようになったため、一部の報道機関が「チョルノービリ原子力発電所事故」あるいは「チョルノービリ原発事故」と名称・呼称を変更している場合があるが、事件や事故は名称に地名が含まれている場合、発生当時の地名で呼称することが原則であるため、厳密的には「チョルノービリ原子力発電所事故」と呼称するのは誤りであり、名称の変更は適当ではない。このため、本項では従来通り「チェルノブイリ原子力発電所事故」と表記する。 概要 事故当時、チェルノブイリ原子力発電所では4つの原子炉が稼働中で、さらに2つが建設中だった。原子炉はいずれもソ連が独自に開発した黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉で、熱出力が320万キロワット (3,200 MW)、電気出力が100万キロワット (1,000 MWe) のRBMK-1000であった。 黒鉛減速沸騰軽水圧力管型原子炉は、重水を使わなくても運用できるが高出力、低出力の時に炉は不安定となる。 ウクライナ歴史研究所のオレフ・バジャンによれば、1980年代に発電所では防諜対策として17人のKGB職員と50人の情報提供者が働いていて、安全性に懸念を感じた情報提供者は早くから警告、KGBも危険性や小事故を連邦政府に報告していたが、対策はとられず、ノルマ達成を気にする発電所経営陣の行動は変わらなかったという。チェルノブイリのRBMK原子炉は建設コストが低く、ほぼ停止することなく操業できるため、旧ソ連各地で採用されていたが、反面、格納容器設置に対応するような安全性対策がなおざりにされ、とくにコンクリート建屋の壁が薄かったチェルノブイリ、レニングラード、クルスクが危険だったという。非常用冷却装置の不備も指摘されていた。 すでに1975年11月、レニングラードで原子炉が暴走、寸前のところで事故は回避され、大量の制御棒を一時に入れると先端の黒鉛のために一時的に寧ろ核分裂が加速する危険性が認識されたものの、当時のソ連の秘密主義のために情報が共有されることはなかった。