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アベル・バルボ

アベル・バルボ(Abel Balbo)

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アベル・エドゥアルド・バルボ(Abel Eduardo Balbo, 1966年6月1日 - )は、アルゼンチン・サンタフェ州エンパルメ・ビジャ・コンスティトゥシオン出身の元同国代表のサッカー選手、指導者、解説者である。 クラブ経歴 6歳から14歳にかけては、叔父が監督を務めるチームで、得点力のあるMFとしてプレーしていた。ここでの活躍に目を付けたインデペンディエンテのトライアウトを受けることになったが、姉の知り合いがニューウェルズ・オールドボーイズの副会長であったことから、先にニューウェルズのトライアウトを受けることとなった。トライアウトに合格して入団、20歳の頃にFWとしてプレーするようになった。1987-88シーズンにトップチームに合流、23試合で9得点を決めた。この活躍でエラス・ヴェローナと契約したが、バニョーリ監督がチームに置くことを望まず、レンタルでリーベル・プレートへ移籍した。リーベルでの活躍により、アルゼンチン代表にも召集されるようになった。 1989年のコパ・アメリカにおいて、ウディネーゼ・カルチョはロベルト・センシーニのプレーに注目してスカウトを派遣していたが、バルボのプレーが目に留まり、ウディネーゼがヴェローナから所有権を買い取った。当初は苦しんでいたが、最終的にPK無しで、28試合で11得点を挙げたが、チームはセリエBへの降格が決まった。翌年はセリエBでは22ゴールを挙げ、セリエB得点王を獲得している。1992-93シーズンには、ジュゼッペ・シニョーリに次いで得点ランク2位となる、22ゴールを挙げた。 1993-94シーズン開幕前には、インテルへの移籍が破談となり、ASローマへ加入した。リーグ2節ユヴェントス戦で移籍後初得点を挙げた。このシーズンはリーグ戦で13ゴールを記録した。1994-95シーズンに加入したダニエル・フォンセカとのツートップは相手チームの脅威となった。この年の得点ランクではガブリエル・バティストゥータに次いで2位となる22ゴールを記録した。その後も3期連続で2桁得点を記録した。1997-98シーズンにはキャプテンを務め、セリエA通算100ゴールを記録した。 その後移籍したパルマACではあまりゴールを挙げてなかったものの、44試合で12得点を挙げた。UEFAカップ、コッパ・イタリアの二冠を達成。1999-2000シーズンはACFフィオレンティーナでプレー、同胞のバティストゥータとツートップを組むこともあった。2000年に復帰したローマでは出場機会は殆ど無かったが、スクデットを掲げた。ローマでは182試合で87ゴールを挙げた。 2001-02シーズン終盤にローマを離れ、母国のボカ・ジュニアーズに移籍、そこで36歳でキャリアを終えた。

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