
A Portuguesa
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ア・ポルトゥゲーザ(ポルトガル語: A Portuguesa、ポルトガル語発音: [ɐ puɾtuˈɣezɐ])とは、ポルトガルの国歌である。日本語の題名として「ポルトガルの歌」、「ポルトガル人よ」、「ポルトガルの道に」とすることもある。ポルトガル在日大使館のWebサイトでは「ポルトゲーザ」と表記している。 1890年にイギリスがポルトガルに対して突きつけた最後通牒に反発する民衆の抗議活動の渦中でアルフレド・ケイルが曲を作り、エンリケ・ロペス・デ・メンドンサが歌詞を書き上げた。1891年1月のポルトで発生した共和主義者の反乱軍は「ア・ポルトゥゲーザ」を行進曲に採用したが、反乱は失敗に終わる。1910年10月5日革命の後、1911年に立憲君主制時代の国歌である「イーノ・ダ・カルタ」に代わる新生ポルトガル共和国の国歌に採用された。 曲のメロディーはフランスの国歌である「ラ・マルセイエーズ」から影響を受けていると指摘されている。 ポルトガル人は学校に通い始めるとすぐに国歌を覚えさせられるが、サッカーなどの国際試合を除いて、歌う機会は多くないと言われている。 歴史 1890年1月11日、イギリスはポルトガルにポルトガル領アンゴラとポルトガル領モザンビークの間にまたがる土地(バラ色地図)からの撤退を要求する最後通牒を発行した。ポルトガルの民衆はイギリスからの要求に反発したが、ポルトガル政府はイギリスの要求をやむなく受け入れた。政府の決定はは国王カルロス1世と君主制への不満を高め、ポルトガル内の共和主義運動はより民衆の支持を集めていった。 政府が最後通牒を受理した夜、作曲家のアルフレド・ケイルはテオフィロ・ブラガなどの友人の提案で愛国者の抗議の行進曲である「ア・ポルトゥゲーザ」の曲を作り出す。作詞家のエンリケ・ロペス・デ・メンドンサはケイルの要望を受け入れ、ポルトガルの民衆が感じていた怒りに触発されて曲に合った歌詞を書き上げた。数日間の共同作業の末に完成した曲は「ア・ポルトゥゲーザ」と命名される。自費で出版された12,000冊の楽譜はすぐに完売し、楽曲の人気は国境を越えて広まり、歌詞は他の言語に翻訳された。 1890年3月29日にリスボンのサン・カルロス国立劇場で開催された大祖国音楽会でア・ポルトゥゲーザ」が演奏され、その後リスボンの他の劇場でも曲が演奏される。文化的な作品としての枠を超えて「ア・ポルトゥゲーザ」は営利的にも利用され、イワシの缶詰やクッキーなどいくつかの食料品にこの曲に由来する名前が付けられた。